合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

ブーレーズと2つの「浄められた夜」

作曲家で指揮者のピエール・ブーレーズが90歳で死んだ。何が書けるというわけでもないのだが、何となく色々楽しませてもらったお礼も込めて、それを知った日のうちに何か書き残しておきたい。

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彼のいろんな経歴や、自分のブーレーズ遍歴を書いても切りがないので、彼が遺したレコーディングからこの1枚を決めようと思うが、何がいいのだろう。

1960~70年代にCBSソニー(快挙!)で録音したストラヴィンスキーの3大バレエやドビュッシー、ラヴェルやバルトークの演奏はどれも衝撃的だったし、「ル・マルト・サン・メートル」を始めとする自作自演も素晴らしかった。

フランク・ザッパとの共作もあったし、いわゆる新ウィーン楽派(特にウェーベルン)や、1990年代以降にドイツ・グラモフォンに籍を移した後のマーラーやブルックナーの録音を愛聴している人もいるかもしれない。

レコーディングではなく、著書「徒弟の覚書」を挙げる人もいるかもしれない。

この本には有名な「春の祭典」のアナリーゼの他、「シェーンベルクは死んだ」「ストラヴィンスキーは生きている」「オペラ座を爆破せよ」(後年、本当に爆破すると誤解されて警察に拘束されたらしい)といったエッセイも確か載っていた(邦訳は晶文社。絶版中にヤフオクで1万8000円で売ったので手許にない)。

しかし自分が一番聴いたのは、実はブーレーズが「死んだ」と批判していたシェーンベルクかもしれない。

しかも十二音技法以前の「浄夜」(1899年)、それもよく知られた弦楽合奏版ではなく六重奏版、さらに近年の手兵アンサンブル・アンテルコンテンポランではなく、1967年に録音されたドメーヌ・ミュジカル(ここではパレナン・カルテットが主体)による演奏だ。

 この演奏でよく分かるのは、シェーンベルクのこの初期の作品――ロマンチックの極地であらゆる調性を舐め回すように書かれた――が、弦楽合奏のようなモヤッとした音の塊を想定して書かれたのではなく、むしろ切り詰められた線的な要素を緻密に組み合わせたものだったということだ。

その作品を、弦楽六重奏という小編成にもかかわらず、わざわざ若きブーレーズが割り込んで指揮をし、隅々までコントロールしているのである。非常に抽象的で、完成度の高い音楽である。最初のレコード盤は擦りきれてしまい、新しく2枚買い足したくらいだから、何度聴いたか分からない。

しかしここで語りたいのは、この録音についてではない。ブーレーズは、実は弦楽合奏版の録音も一度残している。ベルクの叙情組曲とカップリングされていた、NYPの演奏だ。この1973年に残された録音が、まったくブーレーズらしくないグズグズの音楽なのである。

縦の線は合わず、激情に任せたような弦楽オーケストラのうねりに、ブーレーズはどうしてしまったのか、なぜ録り直しをしなかったのかといぶかしく思ったものだ。(しかし現代音楽の巨匠ブーレーズの録音なので、疑わずにこの演奏でこの曲を理解している人は、実は多いと思う。)

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「浄夜」の弦楽合奏版といえば、ポルシェの流線型のようにツルツルと輝かしい音をした最盛期のベルリン・フィルをカラヤンが振った名演があり、それに対抗して(無理やり持ち上げれば)表現主義的なアプローチを取ったのかと思ったが、カラヤンの方が1975年で後なので、この推測は当てはまらない。

ブーレーズの演奏は、よく「冷たい」と言われたが、まったくそれは当てはまらない。自作の「ル・マルト…」などは硬質的な響きがあり、それが冷たさを連想させたかもしれない。

しかし、汗をかきながら19世紀的な芝居がかった動きをしないだけで、無駄のない動きから生まれてくるのは、まぎれもなく血の通った「音楽」だった。もともとは「オペラ座の爆破」を呼びかけた男だ。熱い魂を持っていたに違いないのである。

十二音を発展させたセリー技法を追求し、ジョン・ケージに対抗して「管理された偶然性」を提唱したため、システマチックに思われているブーレーズだが、

死ぬまでオーケストラと音楽をやっていたということは、よほど音楽が好きだったに違いない。その音楽好きの、取り澄ました知性の隙間から漏れた感情がほとばしる弦楽合奏版「浄夜」は、ブーレーズの本質を知るための《壮大な失敗作》といえるだろう。

※いま聞き直してみたけど、そんなひどくもなかった(笑)