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「こたつ記事」は、足を使っても頭を使わない「ゲソ記事」より劣るのか? #ねほりんぱほりん

NHK「ねほりんぱほりん」の、こたつ記事特集を見た。

www.nhk.jp

「こたつ」という言葉は、会社から一歩も出ずにネットを検索して素材をかき集めて書くネットメディアを揶揄したものだ。

「こたつ」のポジティブな側面をなぜ見ない

番組は、著作権を侵害し、真偽の怪しいネガティブな「こたつ記事」の作り方のみを取り上げていた。そしてピーク(破綻するきっかけ)をWELQ問題(2017年3月に全記事非公開)にしていて、率直にいうと内容が古いと感じた。

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さらに不満だったのは、「こたつ記事」のポジティブな側面を評価する部分がなかったところだ。

テレビやSNSを見ない人のために「読者が知りたい芸能ネタ」をすばやく提供することは、必ずしも悪くないかも……という点は認められていたが、「こたつ記事」はそんなチャチなものだけではない。

対比するために、番組にもキャラクターとして登場していた「取材は足で稼げ」という反こたつ派が、普段どういうことをしているかというと、

  • 新橋の駅前で酔っ払いに政権批判を言わせる
  • 記者クラブで政治家に通り一遍の質問をする
  • 省庁に出向いてもらった資料とレク(担当官からのレクチャー)で記事をまとめる

そんな程度のことが日常業務を占めている。

そういう「足で稼いだ取材記事」と「こたつ記事」がどう違うのかと言うと、実質を見ればむしろ「こたつ」の方が勝っている部分だってあるのだ。

足は使っても頭を使わない人たち

テレビの報道番組でよく見る場面だが、銀座の街角で「ほんと大変よねえ」などと紋切り型に嘆くマダムなど数人の一般人にインタビューして、何が分かるのだろう。

一方、「こたつ」記者は、足はこたつに入ったままかもしれないが、政権の評価やコロナ対策について、ツイッターで数百、数千の投稿をチェックし、多角的に論点整理をしている。

さて、どっちが有益なものが出てくるだろうか。

省庁レクをそのまま書いた新聞や通信社の記事を見て、なんか変だなあと思って元の資料に当たってみたら、ぜんぜん重要じゃないことについて記者が「書かされてる」ことなんかも頻繁に見られる。経験の浅い若い記者がやらされているのか、やる気を失った窓際記者がおざなりにやっているのかは知らないが。

この件をフェイスブックに投稿したとき、「足を使っているけど頭を使ってない記事がある」という指摘があった。頭がなくて足だけなら、「こたつ記事」に対抗して「ゲソ記事」とでも呼んでやってはどうか。

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新聞記者の多くは「取材」と称して、自分の都合のいいストーリーに合わせて他人がしゃべったことを書くけれど(最終的には「誰々さんがこう言った、ということは事実です」で逃げられるから)、自分なりの資料読みを記事にすることは稀だ。

しかしある程度の専門性を有した記者であれば、省庁のホームページから資料をいち早くダウンロードし、自分で素早く丁寧に読み込めるはずだ。そして気になる点があれば担当官に電話して肉付けした方が、ちゃんとした記事になる。それを基に識者に電話してコメント取れば、ずっとマシなものができるだろう。

もちろん「こたつ」は、ネットメディアが低コストでコンテンツを作るために編み出した苦肉の策であることは確かだ。しかし、それによって従来の「外に出てなんぼ」の無為、無駄とそれを美しく語るロマンをぶっ潰したことの功績は、認めた方がいいと思う。

新聞のデスクこそ「こたつ・オブ・こたつ」

それから先日、朝日新聞がスポーツ新聞の「こたつ記事」について批判していたけど、

www.asahi.com

スポーツ紙がまずかったのは「こたつ」手法の問題ではなく、真偽不明の情報を引用して記事を構成した「編集部の編集能力」の問題であったはずだ。

おそらくネットメディアの記事を読み、勘違いしたスポーツ紙の記者が「俺たちだってそのくらいできるわ」とナメてかかった結果が、ああいうことになったのだと思う。

「こたつ記事」にも他の記事と同じように、センスやスキルが必要に決まっている。

ちなみに、スポーツ新聞を批判した朝日新聞だって、発表資料をあからさまに捻じ曲げた記事をよく出している。この記事など、どうみても最悪な「こたつ記事」の典型例で、他人のことなど言ってる場合ではないのだ。

digital.asahi.com

この記事は、コロナ禍で中退・休学に至った気の毒な学生が多い印象を与える見出しだが、実態はともに昨年より減少している。

スポーツ紙のこたつ化を嘆く記事も、少なくとも見出しをつけた人には、PVに追われるネットやスポーツ新聞を揶揄し、だから彼らは信用できないと新聞優位を訴える意図があったに違いない。

なお、曲解を誘導する見出し(記事タイトル)をつけるのは、たいがい新聞社の編集部内の「デスク」と呼ばれるベテランたちだ。

彼らは若いものに外へ取材に行かせ、集まった原稿をいじくりまわす。まさに、彼らこそ「こたつ・オブ・こたつ」なのだ。デスクだから「洋風こたつ」と呼んでやってもいい。

余談だが、WELQ問題は、確かに特定のメディアが問題提起したけど、その前に鼻の利くツイッタラーがまずい表現を発見し、揶揄する形で取り上げたメディアがあったことを忘れてはいけない。特定のメディアだけの手柄にするのは、歴史修正のような気もする。

 

2021年1月15日追記

思いのほか拡散してしまい、書き飛ばしたところが気になってきた。例示した記者の仕事は、筆者がかつて雑誌記者として現場で新聞記者と話したことや、若手のまま燻って退職した元記者から聞いた愚痴などがベースになっているが、足も頭も使っているきちんとした記者もいることは言うまでもないと思いつつ、念のため付け加えておく。

また「洋風こたつ」のオチに引っ張られてしまったが、新聞紙面の記事の割付を決め、最終的な見出しを確定するのは「整理記者」の仕事というのが正確だ。彼らも内勤の編集職である。

上記で言及した「見出しと内容のズレ」については、外勤記者と整理記者の対立による場合があると指摘しているブログがあったので引用する。

外回りの記者は社内にこもり、見出しだけをつけている整理部の人間を見下し、
整理部は整理部で、その意趣返しとして、
足で稼いできた記事の内容とは違う見出しを付けてしまう。
それに文句を言ってくる記者には、「口出しするな、整理の管轄だ」と冷たく突き放す。

ますます整理部は意固地になって、時に記事を矮小化した見出し、
逆に記事を大袈裟に、ミスリードして世間を扇ぐような見出しをつける。

3dkyoto.blog.fc2.com

同じような話はさまざまなところから耳にすることがあるが、すべての整理部が意固地でミスリードしているわけではない。前職では某大手新聞の整理部長だったNさんの隣で仕事をしたことがあるが、人物的にも能力的にも素晴らしい方で、斜に構えたり意固地になったりすることはなかった。