合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

シン・ゴジラを見た直後の10つの感想

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1.世間の空気に負けて、シン・ゴジラを見に行ってしまった。結論としては映画館で見てよかった。100点満点で100点の面白さ、少し引いても98点くらい。でもそれほど、あるいは全然楽しめない人もいるだろう。たとえば女子高生には面白さは分からないのではないか。その境目は批評性にあると思う。

2.まず映画の全体構造としては、オーソドックスな喜劇、コメディ。もっとも大きな骨子は「問題が生じて、解決する」というハッピーエンド。そこに「行政萌え」「ミリタリー萌え」「工場萌え」「俳優萌え」「科学萌え」などの萌え要素を散りばめており、それなりに間口は広げてある。

3.喜劇の手法としては現実のパロディが多用されており、そういう批評性の笑いが分からない人には、まったく楽しめないかもしれない。なお、この映画を「リアル」と表現する人がいるが賛同できない。あれは映画表現を通じて現状を批評しているのであり、現実を模倣しているわけではない。それは似て非なるものだ。

4.なお批評性といっても、現実の批判では決してなく、むしろ肯定だ。笑いの表現としてはアイロニーではなく、ユーモアである。あれをアイロニーとか批判と見てしまうと、映画表現が一気に陳腐になってしまう。

5.醒めた批評性は音響にも現れており、映画内で発生している音は迫力のあるステレオサウンドだが、映画音楽部分はモノラルで流されていたところが多かった。映画すべてをイリュージョンとして観客を巻き込むハリウッド的手法を使わなかったことで、画面の中で起こっていることが逆にノンフィクションに見えるような効果があった。これにより東日本大震災の津波の様子をテレビやYoutubeで見たときのような、にわかに信じられないことが実際に起こっている様子をカメラが捉えているような感覚を呼び起こした。

6.伊福部昭によるゴジラ音楽の多用は、映画すべてを引用とパロディで埋め尽くそうというポストモダン的な意思を感じた。画面の中で起こっている惨劇だけが真実であり、それをもり立てるための音楽など今更新しく作れるわけがないといった諦めだろうか。

7.後半で主役格の俳優が、スタッフに向けて演説するシーンがあるが、あれは観客に呼びかけている形になっていると言ってよい。映画なんてひとりでモニターで見ればいいという気持ちは捨てきれないが、やはり映画館という擬似共同体で他の観客と同時体験する意味はある。

8.個人的に問題点を指摘するとすれば、あの役は石原さとみなんだろうかということだ。日本語が話せる無名の外国人女優でもよかったのではないだろうか。もちろんストーリー上、日系人ということになるのだろうけど。

9.明確な根拠はないが、こういう映画が撮れる現代こそ日本のピークだと感じた。日本のピークは、決して高度成長期やバブル期ではなかった。東京五輪の特需と終焉、首都直下型地震が来て、戦後の延長線上にあった日本が一度沈んだ後に、そういえばシン・ゴジラという映画がこの事態を予見し、その後の方向性についても見据えていたのだと再評価される日が来るような気がする。

10.なお、セリフは全般的に早口で、ガヤやナレーションも聞き取りにくいほどだったが、これが実写で本当によかった。アニメだったら、あの声優特有のキモいデフォルメがあっただろうが、そんな声でやられたらわざとらしくて耐えられなかっただろう。