合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

坂本龍一と「恥の感覚」

Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc

きのうは歌舞伎町の109シネマズプレミアム新宿で、映画「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」を見てきました。4500円で山盛りのポップコーンと飲み物つき。大きめのシートはふかふかしていて左右に食べ物と飲み物を置くスペースがあり、巨大なスクリーンと最晩年の坂本が監修したという音響で、ぜいたくな時間をすごせました。

画面には大きなヤマハのグランドピアノと、10本以上のマイク。登場人物は黒いシャツを着た老人がひとりだけで、髪は真っ白、頬はこけ、無精髭を生やし、丸い眼鏡をかけています。眼鏡の奥にはギラリとした眼がありましたが、もしかすると眼鏡をかけていないと、眼の周りはかなり落ち窪んでいるのが目立つかもしれません。

この老人こそが病身の坂本龍一で、孤老となった最晩年の永井荷風のようにも、痴呆気味の老人を演じる俳優の加藤嘉にも見えました。ただ、ある瞬間では、まるで中学生のような無垢でみずみずしい表情に見えることがあったのは驚きでした。

そのような、死に直面した人間をまじまじと見る経験は稀なので、音楽以前の話として今後の人生において引きずりそうな体験でした。坂本音楽に興味がない人でも、そういう映画として鑑賞する価値ありかもしれません。

映画は90分ほど、冒頭の挨拶に続いて12曲+1曲のピアノの演奏がただただ続くんですが、坂本の体力が続かないので何回かに分割して収録されたようで、収録単位の終わりの方になると微妙に弾けてない箇所が出てきたりして、限界までやってるなという感じがしました。

勘違いかもしれないのですが、演奏中、オクターブを弾くはずの箇所の音をいくつか省いているようにも聞こえました。それは響きの効果を狙って抜いているのか(坂本が影響を受けたラヴェルはあえて中抜きの和声で宙吊り感を出していた)、体力の衰えが著しくて鍵盤をいくつか飛ばすことにしたのか、あるいは鍵盤を押しているつもりなのに音が出ていないのかは分かりませんでした。

一方で、左手のすべての音が驚くほど重たく均一に弾かれている箇所もあり(ああ坂本さんは左利きなのかな)、腕利きのスタジオミュージシャン、キーボード奏者の面影もあったりして、そこも興味深かったです。

エンドクレジットに(事実婚の)妻と子供の名前が制作者として入ってるんですけど、ここまでして引っ張り出さなくても、という感じもしました。「人生は短し、芸術は永し」とは、本当に本人が好きな言葉だったのだろうか? 名声を残すための演出は過剰ではなかったか。

まあ、おかげでこのような貴重な演奏を味わうことができたんですけど。

曲は通して聞くとドビュッシーやサティ、ラヴェルの影響がもろに分かる箇所が多く、最晩年になってそれを隠す気も起きなくなったのかな、と思ったほどでした。まあ楽譜には書いているものの基本的には即興的な曲が多く、それもあって根っこの部分があらわになったのかもしれないです。ラヴェルは「シャブリエ風に」というピアノ曲を書いていますが、もう「ラヴェル風メヌエット」といっていい曲もありました。

それと比べると、作り込まれ何度も演奏されている「シェルタリング・スカイ」「ラスト・エンペラー」「戦場のメリークリスマス」といった映画音楽は、練られたメロディの壮大さと暗い和声に坂本の個性が現れてて、やっぱり相当な音楽家だったんだなとあらためて思いました。

でも、ダントツによかったのは「Tong Poo(東風)」でしたね。この感想は自分でも意外でした。

少し脇道にそれると、生涯に一度だけ答案用紙をまったくの白紙で出したことがあって、それが某W大入試の小論文だったんですが、ある文章がお題に出て、それが当時絶版だった武満徹の「音、沈黙と測りあえるほどに」からの引用だと即座に気づくことができたのは、その何年か前にある本屋のデッドストックでその本を発見し、勉強そっちのけで暗号を解読するようにコツコツ愛読していたからでした。

「恥の感覚」というその文章は、要約すると「自分の音楽が収められた輸出用のレコードのジャケットが、フジヤマゲイシャだった。それを見て“恥の感覚”が生じた」といったような内容でした。それを読んで、なぜ一文字も書けずに終わったかはここでクドクド書くべきではないと思いますが、いま振り返ると、10代の男の子としてはそれなりに誠実な態度だったのかもしれない(笑)。

2002年に発売されたBISのCDですら、このジャケットですからね…。

それはともかく、武満さんの音楽は、海外で「日本的」と評されることはあっても、ペンタトニック(5音階)をいわゆる東洋的な効果をねらって使うことはなかった。「ノベンバー・ステップス」などで尺八や琵琶といった和楽器を持ち出したときでも、決してオリエンタルな雰囲気を醸し出すメロディを演奏させるためではなく、西洋文化の集積としてのオーケストラと対峙させて「我々の耳はおまえらとは違うのだ」とケンカを売るような使い方がされていました。

なので、「最新のコンピューターを使って、ニセの中国人を装ったダンスミュージックを作り、アメリカでレコードを400万枚売る」といった戦略で成功した最初期のYMOが出てきたとき、ものすごいアレルギーがあったんですね。武満さんが「恥の感覚」と呼んだようなものを逆手に取って、キッチュなオリエンタリズムやエキゾチズムで海外市場に売れる坂本たちは、どういう神経をしてるのかと。

ということもあって、その戦略から脱して純粋に新しいコンピューターミュージックに入っていった「テクノデリック」の感動がひとしおだった。いや、時系列としてはその6~7年前なのでまだ武満さんの文章を読む遥か前ですけど、同じような問題意識というか感覚はなぜかあった。

で、当時の典型的な敵のひとつが、坂本の「東風」だったんですよ。まだ小学校高学年か中学生になりたてくらいでしたが、あのゴーゴーディスコの質の悪いパロディとしか思えないイントロと、それに続く、胡弓で演奏したら映えそうな中国風のキッチュなメロディ。いま振り返れば、あの不快感はまさに「恥の感覚」を刺激された気分だったのだと思います。

いや、坂本のペンタトニックはもっとグローバルな感覚で書かれたものだった、という反論は想定できるんですけど、「アメリカ人が好きそうな日本人に偽装して売り込む」というコンセプトは、細野さんのトロピカル三部作の延長線上にあることは事実だとしても、それが明確にアイデア化されたのは、個人的には坂本の「千のナイフ」を細野さんが聞いたときだったに違いない、と思えて仕方ないんですよね(もしかしたらどこかで証言が出てるのかもしれないけど)。

YMOのファーストアルバムとほぼ同時に発売された坂本の「千のナイフ」には、「新日本電子的民謡 DAS NEUE JAPANISCHE ELEKTRONISCHE VOLKSLIED」という、架空の民謡というか盆踊りのパロディをシンセでやった音楽が収録されていて、すでにここに初期YMOそのものがある。

武満さんが(恐らく和楽器を使ったことを理由に)日本回帰をしたと怒り、「武満を殺せ!」と書いたビラをまいた坂本自身がこれをやっている。どういうことなのか?

そんな疑問や憤りは、長いことわだかまりとして残っていて、実はこの日もその思いを一部引きずっていなかったといってはウソになる気持ちを抱きながら「Playing the Piano 2022+」を聞いていました。しかし、ドビュッシーやラヴェルの影響をあからさまにした作品群の中で、「東風」のオリジナリティって異常に突出してるんですよ。もう飛び抜けて。

これって、言ってみれば「恥の感覚」を突き抜けているんだな、と気づきました。武満さんの戦い方もあるけど、こういう突破の仕方もあるんだなと。80年代の終わりに村上龍の「Ryu's Bar」で2人が話していた(と番組最後に明かされる)「突破する」とは、こういうことなのかもしれない。

もちろん、シンセサイザーの耳障りなピコピコ音や奇っ怪なメロディが、ピアノの和声で薄まっただけであって、多くの人には魅力の後退と捉えられるかもしれない。でもここにはひとつとして動かしようがない確固たる要素が揃っていて、最初から坂本の頭の中でこのような音楽として響いていたとしたら、これは大変なものだし、率直に自分の不明を恥じるべきだなと思いました。

正直、これはこれからも残る曲だと確信しました。もしかするとストラヴィンスキーやカプースチンなどの作品と並んで、クラシックのコンサートピースになってもおかしくない。ただし「BTTB」の、あの速弾きヴァージョンではなく。

「Playing the Piano 2022+」の東風は、イントロを飛ばして“ヨナ抜き音階”のAメロで静かに始まり、Bメロを経てイントロに戻るんですが、このBメロ-イントロがすごかった。螺旋状に上昇するBメロについた和声は非常に複雑で、黒い雨雲がどんどん大きくなっていくような迫力があって、これをポップ・ミュージックに持ち込める人って坂本だけだよな、という興奮がありました。

それからディスコミュージックのパロディにも日本の民謡による盆踊りにも聞こえるイントロも、テンポを落として低音部で静かに弾かれると、シューベルトの晩年のソナタのような深遠な世界に聞こえてきて、これも面白かったです。

ということで、この最晩年様式の「東風」の演奏には、まったく予想外に、ものすごく感動したので、このスタイルで同じように「THE END OF ASIA」などのYMOナンバーをやってもらいたいな――なんて思ったところで、彼の不在にあらためて直面することに。もう坂本はこの世にいないから、新しい音楽は作ってもらえないんですね。

鑑賞後、2階に降りましたら、東急歌舞伎町タワーには「歌舞伎横丁」というネオン街を模した飲食店があり、そのあまりにもキッチュな有様に外国人は大喜びでした。坂本と和解した僕は「これでいいのだ」などとつぶやいてしまいました。