合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

クラシック音楽をカッコよく撮る

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まだみんなに知られていないけど、エクストリームな天才が作ったクラシック音楽はイケてるし、カッコいい。もっと知られるべきだ。

幸い日本はまだ豊かなので、育成に無茶苦茶コストのかかるクラシック音楽の演奏家が、たくさん存在している。優れた若手のプレイヤーもいる。

ぜひそういった演奏家たちが十分に稼げて、いい音楽を演奏し続けられる社会になってほしい。特にこれからの「優雅なる衰退」の時代には、優雅なるBGMが必要だ。

ネットを使えば外貨を稼げる

演奏家たちが本場ヨーロッパで勉強するのは望ましいし、ヨーロッパで成功できるのであれば、それはそれで喜ばしい。だが現実的には言葉の壁もあるし、人種差別の問題もある。

そんな苦労をしなくても、いまは動画だのインターネットだのがあるのだから、日本にいながらにして国内外の人気を集め、稼げる道があるのではないだろうか。

内需縮小が本格化し、これからは「外貨獲得」が重要なキーワードになる。クラシック音楽を商品とし、ヨーロッパの富裕層を「市場」として取り込むのは、悪い考えではないと思う。

例えば若手演奏家で結成された弦楽四重奏があり、そこがYouTubeに公式チャンネルをもつことで、コンサートホールでの演奏会よりも稼ぐことが可能になる日が来るかもしれない。

YouTubeで人気が出れば、リアルなコンサートへの集客も容易になる。そのためには、クラシック音楽をカッコよく撮影した映像が必要だ。

映像を作成しつづけるためには資本やしくみが必要だが、まっさきに問題となるのは、どのような映像を作るのか(What)であり、それを誰がどのように作るのか(How)というコンセプトである。

「J-クラシック」的アプローチはダサすぎる

まずは、現代人の興味を惹くクラシック音楽の映像とはどういうものか。従来の日本市場は顧客がおばちゃんや爺さんなので、イケメンや美女に名曲を弾かせる安直なやり方が定番になっている。

ときには、ベートーヴェンやブラームスを勉強してきた若者に、「売れるためには仕方がない」とばかりに、演歌などの懐メロをヴァイオリンで弾かせたりする。いわゆるJ-クラシックというやつだ。

J-クラシックとは、広くは日本人演奏家によるクラシック音楽、その中でも特に、伝統的なクラシック音楽の枠を超えた、新しい試みに積極的な若手アーティストたちによるクラシック音楽のことを言います。従来、クラシック音楽家の活動の中心は、作曲家、それも主に18~19世紀のヨーロッパの作曲家が譜面に書いたものを忠実に再現することでしたが、J-クラシックの場合、それだけに縛られず、例えば、ポピュラーの楽曲をクラシック・テイストに編曲したり、同じクラシックでも、違う楽器のための作品を編曲し て演奏したり、長い曲の一部を取り出して演奏するなど、自由なアプローチにより、新しい音楽の楽しみ方を追求します。

懐メロよりマシな例としては、こんな感じだろうか。

詳しくは分析したくないが、このアプローチは間違っていたと思う。市場を育成するという観点が不足しているし(消費でしかないから)、なにしろ音楽としてダサい。

しかし、これ以上はけなさないで置こう。たぶん「こうじゃなくちゃ売れない」と決めつけて彼女たちにやらせたアホなおっさんがいただけなんだから。

80年代のクロノス・カルテットの「パープル・ヘイズ」なら、カルテットの新しい可能性を開いたと言えるけど、なによりクロノスは同じCDでバルトークやアイヴズなどをやった後に、おまけ的にジミヘンを入れたわけで、そのアプローチを中心に置いたわけではない。

ヨーロッパ市場を取り込める本格的なものを

クロノス・カルテットはこのほかにビル・エバンスなどをやって、それは凡百のカバーとは違ってそれなりに魅力的だとは思うけれども、やはりロックはロックバンドに、ジャズはジャズミュージシャンにやらせておけばいいという気にならないでもない。

例えばベートーヴェンを編曲をして、ロックバンドやポップスオーケストラが演奏したものをどれだけ楽しめるか、という問いを考えてみればいいだろう。

マイケル・ジャクソンを編曲してヴァイオリンで弾かせるよりも、本物のクラシック音楽を直接弾かせた方がすごい、と感じる人たちをターゲットにし、それを増やすアプローチにすべきだ。

何とか「クラシック音楽本来の魅力」を活かす形で売れるようにできないものか。一時的なブーム頼りになってしまわぬよう、やはり若い人たちをターゲットにした映像ということになるだろう。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を例にしてみると、第8番のような音楽はきっと若者にも受けるに違いない(下記は2楽章のみ)。

実際、ヘヴィーメタルのスタイルでカバーしている若者たちもいる。

これにうまいことカメラアングルをつけるのである。発表会の記録用のように正面から一発撮りではダメだ。せめてこのくらいほしい。

しかし、これではちょっとカメラの台数が足りない。場所もコンサートホールである必要がないし、クレーンを使っても、ドローンを飛ばしたっていい。

うまい例が示せないのが残念だが、われわれにはまだ手を着けていないところがあるということだ。なぜ着手していなかったかというと、おそらくクラシック音楽への愛が足りない人が、広告代理店的発想で「J-クラシック」のようなアプローチに甘んじてきたからだろうと思う。

しかし、それは聴衆の賢さとクラシック音楽の本来的なポテンシャルをなめすぎている。たぶん、いま賛成する人はいないだろう。でも、やる価値があるのではないかと思っている。