合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

「インタビュー記事」の作り方

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誰かに何かを教える立場には、決してなるまいと思っていた。でもこのところ、ネットメディアの乱立によって、ちゃんとした環境で教育されたり鍛えられたりしていない人間が、ライターや編集者(そして編集長!)を堂々と名乗るケースがかなり目につくようになってきた。

また、そうした人たちの知識や経験の不足につけこんで、彼らを支援すると称するコミュニティが、大した有益なこともせずカネを集めていることも最近知った。

このところウェブメディアで読み応えのあるものが減ったなと嘆いていたのだが、その背景にはこういう事情があるのかもしれない。だが、若い人たちにはもっと頑張ってもらわないと、この世はますます退屈になってしまう。

そこで自分が知っている範囲のことくらいは吐き出しておこうと考え、思いつくままにnoteに書き残しておくことにした。

手始めに、駆け出しライターの人たちに困っていることを訊いたところ、インタビューに関する質問が比較的多かったので、今回はそれに関することを書いてみようと思う。

ただし、さまざまな悩みや疑問にひとつひとつ答えていくよりも、根本的なことから整理していった方がいいと感じたので、まずはそのような形で書き始めてみよう。

なお、私自身はド素人よりはマシではあるものの、一流にはほど遠い人間であり、休みの日に軽く一杯やった勢いで書く暇つぶしなので、話半分程度で読んで欲しい。間違っている内容もあるだろうし、書いてることと自分でやってることが一致しないことも多い。

1.それは「報道」なのか

インタビューについて考えるうえで、それは「報道」なのか、ということは最初に自問しておくべきだと思う。

何をもって「報道」とするのかの厳密な定義は簡単ではないが、少なくとも「事実を正確に伝えること」を至上目的とするインタビューであるかどうかは、記事を作成するうえで極めて重要なチェックポイントであると頭に入れておきたいものだ。

一般に「報道」といえば、新聞、あるいはテレビの報道局が行うものだと考えられている。しかし、例えば新聞のインタビューが「報道」の形として本当に理想的に行われてきたかというと、実は疑問の余地がある。

例えば、政治家や企業経営者の取材インタビュー記事は「である形」で書かれているが、実際に「である」で話す人間などまずいない。これは話していることのポイントを、新聞記者が「紙幅の都合」(この制約はウェブの時代には事実上なくなっているはずだが)などを理由に勝手にまとめているために起こる事象である。

また、インタビューが「報道」という名目になると、インタビュー対象者(インタビューイ)に「原稿を戻して内容を確認してもらう」というステップが不要になるといわれている。そんなことをすればインタビューイにとって不都合な内容を直されてしまうおそれがあるからで、「報道の公正性」がおかされるようなことをしない、というのが新聞記者の言い分だ。

しかし現実としては、逆にインタビューイの言葉尻を捕まえて「記者の都合のよいストーリー」の記事に強引にまとめてしまう、といったことがよく起こる。少なくとも過去にはよく起こっていたし、現在でもインタビュー以外の記事を含めてそういう記事が存在する(例えば「韓国へ輸出規制、元徴用工問題が背景に 菅氏が明言」朝日新聞デジタル、2019.7.2)。

したがって、新聞記者が「事実を正確に伝えるジャーナリズム」と胸を張るほど大したことをしているかというと、眉唾なところも多々あるのではないかと思うのだ。

例えば、ジャーナリズムを厳密に考える海外の人たちの中には、事実を正確に伝えるためにインタビューイに原稿チェックを求める流儀がある。首相を務めた吉田茂は『吉田健一対談集成』(小沢書店)の中で、進行の河上徹太郎にこう述懐している。

河上 新聞記者の批評を伺えないですか。例えばイギリスの新聞記者と日本の新聞記者と、あたりがどう違うか、というようなことは……。

首相 それはよほど違いますね。例えばイギリスの新聞記者は、会いたいといって強制するようなことはない。ぜひとも会いたいと玄関でもって怒鳴るようなことは無論ありませんね。そして会ってインタヴュウをすれば必ず原稿を見せて校訂することを要求して、その上で発表する。日本では大概そいつはしませんね。

 それから、欧米には、発言部分には一切手を付けず、口調そのままで掲載することを徹底しているメディアもあったはずである(後で確認)。

言いたいことは、日本の新聞社の報道の流儀が決して「絶対」ではないということである。

個人的には、報道目的であってもインタビューイに内容確認をしてもいいのではないかと思う。仮に言ってもいないことの修正依頼が来たとしても、ICレコーダーで発言を録音しておけば言った言わないということにはならない。修正依頼を最終的に原稿に反映させるべきではないと考えれば、報道側がそれは反映できませんと言えばいいだけではないか。

結局、偉そうな建前を作って、面倒な手間を避けてきただけはないのか。そういう態度は、新しい世代の人たちは決して真似るべきではない。もう、「メディア」に取り上げてもらうことなんて、大してありがたいことではないのだから。

結論としては、多くのライターが書く記事は「報道」ではないので、そのあたりはそんなに厳密に考えなくてもいい、ということになるかもしれない。その一方で、やはり「事実はきっちりと伝えたい」というスタンスを保ちたいのであれば、文体や手法を含めてきちんと貫くべきだろう。

また、「事実を正確に伝えたい」という意思と、相手に原稿をチェックしてもらう行為は、必ずしも矛盾しないし、安易に新聞記者のマネをすることはない。そのあたりの進行プロセスをどうするかを事前に決めておいて、インタビュー前に関係者に伝えておかないとトラブルになりかねない。

2.それは「カネ」をもらって書くのか

インタビューが「報道」ではないとなれば、次に大きなチェックポイントとなるのは、その記事はどこかから「カネ」をもらって書くのか、ということになる。言うまでもないが、「報道」かつ「カネをもらう」ということはありえない。

また、これはフリーライターがメディアからギャラをもらうことや、メディアがインタビューイに謝礼を払うことを指しているのではない。要するに「広告記事、PR記事などとして、クライアントが存在するのかどうか」ということである。

極論をいえば、「カネ」をもらって書くのであれば、メディアはクライアントの言いなりになるしかない。「報道」とは違い、その場で言っていないことを無限に加筆しても構わないし、なんならクライアントからもらった材料を基にライター側で架空のインタビューをでっちあげても問題ないわけである(私がそうしているというわけではないので念のため)。

フリーライターが仕事を受けるときも、それが広告記事かどうかは最初に確認すべきだ。広告記事であれば、先方に原稿を戻さないということなどありえないし、書いた原稿をどれだけ変えられても文句はいえないと覚悟すべきである。それから、メディアは記事で儲けているのだから、ギャラは多めにもらう権利があると考えてよい。

ただし、だからといって「先方の要望を何もかも飲むべき」かというと、そうとは限らない。その判断基準は、ライターのプライドなどといった曖昧なものではなく、インタビュー記事制作の「目的」にある。

クライアントは、あるメディアに記事が載ることで何らかの「目的」を果たそうと考えているはずだ。したがって、クライアントとメディアの間で検証すべきは「その記事がきちんと目的を果たすものになっているか」ということになる。

例えば、クライアントから、インタビュアーがインタビューイである社長に歯の浮くようなお世辞を言っているように変えて欲しい、という要望があったとする。そのとき、言う通りに変えることで目的が果たせるのであれば、それは飲まざるを得ない。

例えば、読者に対する印象などどうでもいいから、社長の気分がよくなるような記事を書いて欲しいといわれたような場合である。その代わり、そのような要望を提示されたときには、メディアの信頼度を損なうリスクを負うのだから、それ相応の対価を求めておくべきだろう(もちろん広告クレジットは欠かせない)。

一方、それなりに信頼度のあるメディアに、中立性・公正性を伴った(装った)形で記事が載った方がより「目的」に近づくと判断した場合、メディアは「そのような表現にしない方が、読者にいい印象を与えられますよ」などといった提案をした方がいいということになる。

要するに、カネをもらう記事を書く前には、クライアントの与件をきちんと確認し、金額を含めてきちんと握ることが重要になるということだ。

ただし、どんな仕事でもそうだが、事前に共有した目的に沿って動けない人間がいる。プロジェクト的な仕事の進め方ができない困った存在だが、このリスクを回避するために、クライアントとの間にPR会社や広告代理店、メディアレップを挟む仕事しかしないというメディアもある。

間に会社を挟めない場合には、クライアントとの連絡はもっぱら営業経由にする方法もある。細かな要望がクライアントから編集やライターに直接行かないようにすることで、やりとりが感情的になってこじれるリスクを回避するのである(営業はときには編集を「分からず屋」の悪者にしながらうまく調整すればいい)。

逆にライターの中には、目的を理解できずに「いい記事を書きたい」などと言い出す人もいる。しかし、ライター仕事の記事の品質とは「要求事項への適合度合い」で決まるのであって、そこに主観的な基準を差し込むような勘違いをしてはならない。

3.相手は「おしゃべり好き」か

カネをもらって記事を書く場合には「目的」が大事と書いたが、それと同時に手段である「プロセス」にも気を配った方がいい場合がある。それは「インタビューイがわがままなおしゃべり好き」なケースである。

最終的なアウトプットをあるべきものにするために、インタビュアーは必要な情報を集めて構成する。そうやって作るインタビュー記事は、矢継ぎ早に質問した材料をつなぎ合わせたものになることもあるだろう。

実際、そのような方法が得策の場合も少なくない。例えば経営者インタビューの場合、その会社の強みをアピールすることが目的なのに、それを自社で十分に自覚していなかったり、他人に説明できるような言葉を持っていなかったりするケースは驚くほど多いものである(特にBtoB企業)。

この場合、インタビュアーは会社の自己PRに漫然と耳を傾けるだけでなく、「御社の主要クライアントは誰なのか」「製品やサービスはどのような使われ方をしているのか」「競合との差別化はどこで図られているのか」「それを生み出す競争力の源泉は、採用や育成、技術、マネジメントスタイルなど、どこにあるのか」などといったさまざまな角度から質問することによって、ようやく書くべきことを明らかにすることができるのだ。

しかし、こうやって「目的」にあった記事を構成できたのにもかかわらず、インタビューイである経営者が不満を漏らすことがある。その理由はいろいろあるが、よく見られるのが「インタビューで自分が気持ちよく話せなかった」ことが原因のケースだ。ベテランのおっさんライターに根掘り葉掘り突っ込まれるより、若くてきれいな女性ライターに笑顔でうんうんとうなずきながら独演会に耳を傾けて欲しいワンマン社長がいるわけである。

オレの自慢話を気持ちよく披露して、それをカッコよく書いてくれると思ったら期待ハズレだった、そんな記事にカネを払えるかよ馬鹿野郎、となるわけである。本来、そのような場合には目的を握ったクライアントの担当者に説得してもらえればいいのだが、横暴なオーナー社長に社員は逆らえないので、ちゃぶ台返しになる。そのあたりのリスクは事前に想定しておきたいものである。

結論としては、カネをもらう記事で、しゃべりたいインタビューイには、少し多めの時間を取って、取材とは関係ないことも含めて気分良くしゃべらせることが、もうひとつの「目的」になりうるということである。

ちなみに、インタビューはいつでも若い女性がいいのかというと、そうとは限らない。ある有名事業家へのPR記事のインタビューは、広告代理店の要望で美しい元女子アナを聞き手に立てたのだが、彼は愛想笑いにまったく応じず苛立ちを見せ始めた。

女性が涙ぐんだので、彼の近著に目を通していた編集担当の私があわてて引き取り、なんとか時間まで持ちこたえたことがあった。彼の場合、いま自分の興味関心のある分野について理解し、前向きな話ができることが必須だったのだ。こういう場合を含め、プロセスとしてのインタビューをどういうスタンスで望むのが歓迎されるかを考えておいた方がいいだろう。

なお、念のため釘を刺しておくが、ここまで書いてきたことはカネが絡んだ記事の話であって、カネの絡まないインタビューにおいてはこの限りではなく、大事なのはあくまでも「読者」であると認識すべきである。

ときどき、相手に嫌われることを恐れ、過剰にゴマを擦るライターがいるが(“自分に自信が持てない”などと自称する女性に多い)、あれは本当にみっともなくて目も当てられない。

相手に気に入られることや、相手が「○○さんが素敵なインタビューをしてくれました♪」などと喜んでくれる記事を書くことをインタビューの目的に置くと、本来の読者が置いてきぼりになる。これはもう「仕事」と呼べるシロモノではない。自分のブログにでも書いておくがいい。

4.先方がインタビューに応じる「動機」は何か

「報道」でも「カネ」絡みでもないインタビューを円滑に進めるためには、先方にインタビューに応じるどんな「動機」があるかをチェックしておくべきである。

これは読者のメディア・リテラシーを高めるためにもっと知られていい事実だと思うのだが、世に出る有名人インタビューのほとんどは「公益性を装ったPR記事」である。大物タレントが本を出したり、出演した映画が封切られたり、新しいテレビドラマが始まったりするときに「宣伝を兼ねて」インタビューを頼むのだ。

そうでなければ、相手だって無料でインタビューに応じるわけがない。忙しい俳優やタレント、お笑い芸人や芸能事務所が、ボランティアでメディアに協力する筋合いはないし、彼らにメリットがないのに、にこやかに質問に答えてくれることなど期待できるわけがないのである。

もちろん、本や映画、ドラマのテーマに絡めて、有名人の人となりを明らかにするのだという口実はできる。しかし、しょせんは「宣伝」なのだ。

このことは、ライターも忘れるべきではない。「有名人にインタビューできた!」などと浮足立つのは勘違いも甚だしい。まして「憧れの人にインタビューできました!」などといって記念撮影をしてSNSにアップし、友達からイイネ!を集めるなど、ド素人の極みの恥さらしである。

相手が尊敬する学者や作家、経営者ならまだしも、人気商売の芸能人やプロアスリートと公私混同で記念撮影をするなど愚の骨頂だ。撮影したとしても密かに自分だけで楽しむべきで、ネットに公開して自慢するようなクズに成り下がってはいけない。いや、本当のプロになりたければ、記念撮影すら、やせ我慢で辞退すべきだろう。

話を戻すと、先方に「動機」のあるインタビューであれば、実質的に「カネ」が支払われている記事と一緒と考えざるをえない部分もあることが理解できるだろう。先方には想定する「目的」があり、それをクリアしなければ掲載が危ぶまれるわけである。「報道」とも違うので、相手に原稿を見せないということもありえない。

なお、しつこいようだが、そのような記事が、たまたまポータルサイトやニュースアプリでバズったとしても、それは自分の実力などではない。有名人のネームバリューのおかげであり、なぜか芸能ネタが大好きな怠惰な日本人読者のせいなのである。

ライターや編集者の力は、“しょせんは「宣伝」という共犯関係”の中で、読者に驚きや喜び、学びなどを提供できる、創造性ある「企画」をどれだけ絡められたかによって試されると考えるべきだろう。

5.事前準備は不要というデマに惑わされるな

以前、ウェブ専門の編プロの社長か誰かが、インタビューは「事前準備をしすぎてはいけない」と言っているのを読んで呆れたことがある。彼の言い分は、一般的な読者は事前知識が乏しいのだから、インタビュアーが知りすぎると読者が置いていかれる、という理屈だったはずである。

しかし、それはインタビュアーが自分の知識をひけらかしてしまうという別問題であって、事前準備を軽視していいということにはならない。インタビューイやテーマ、クライアントに関する情報は可能な限り調べておくべきで、それを小出しにしたりしなかったりすればいいだけの話だ。

例えば営業マンが取引先開拓のアプローチをするときに、少し調べれば分かることをわざわざ尋ねれば、相手は熱意を疑って冷めるに違いない。「知るは愛につながる」という言葉もあるが、相手への興味を正しく持つためには、相手を知ることが第一歩になる。

事前の情報やシミュレーションがあればあるほど、当日の進行で内容が深められる可能性がある。もちろん、想定外の答えが返ってくることもあるだろう。そのときは(古い新聞記者やデスクのように事前のストーリーに固執するようなことはせず)素直に意外であることを伝えるところから、コミュニケーションすればいいだけの話だ。

まあ、ゆるさをウリにするフリーライターが「あの、おいくつですか? へえ、意外と若いんですね」などと雑談し、それをそのまま書くというやり方もある。もしそういう芸風だとしても、調べておきながら知らないふりをして訊けばいいだけの話なのだ。事前に調べれば分かることでも調べないのは、一般的には手抜きでしかない。

そう考える背景として、ここでインタビュー記事に対する個人的な考え方を添えておくと、「相手が話したことをそのまま書き写せばいいのだから、インタビュー記事ほど簡単なものはない」とつくづく思うのである。

そもそも日本語さえ書いて読めれば、ライターなど誰にでもできるラクチンな仕事なのだ。「仕事」や「職業」などと名乗るのもおこがましい。特に「ウェブライター」に至っては、何人かのタレントを除けば、自動車工場の職人や営業マンよりも名乗るハードルの方が遥かに低いのが実態だろう。

確かに、読者や編集者を満足させるために、何を書くかを考えるのは楽なことではないのも事実だ。しかし、インタビューは相手が話してくれることをそのまま書けばいいのだから、こんな簡単な仕事はないのである。

ときどき「ライターなめるな」みたいな書き込みをネットで見かるが、失笑するしかない。世の中の人たちが汗水たらして働いているのに、大したスキルもないのに、プライドばかり高いぐうたらのハッタリライターになってはいけない。そういう現実的な認識を持ちながら、その簡単な仕事をハイレベルで成し遂げようとする緊張感をもって臨むべきじゃないのか、と言いたくなるライターや編集者は少なくないのである。

Q.文字起こしが面倒?

さて、基本的なスタンスに関することは一通り書いたので、ここからは質問に答えるコーナーにしようと思う。

インタビューを終えた後の「文字起こし」が面倒です。Google音声入力で録音を聴きながらしゃべって入力してますが、それでも面倒。

これはツイッターで見知らぬライターに説教したことがあるのだが、インタビューを録音して全文字起こししてからじゃないと記事にできないという人がいた。それで時給に合わないとか言ってるのだから、驚いてしまった。

ああそうか、聴いたことをただ垂れ流しで文字起こししてるから、いまどきのライターたちは平気で文字数を大幅に超過してしまうんだな。まあ「文字起こし屋さん」だったらいいとしても、本当にそれでライターを名乗るつもりなのか?

そういえば、ある経営者から聞いた話だが、インタビューの全文字起こししたものが、「あー」とか「えー」とか含めてケバ取りもしてない状態でライターから送られてきて、一両日中に直してくれと言われたとか。そんなのライターの責任を果たしてないだろうと呆れ返ってしまう。

インタビューをする前には、だいたいどのくらいの字数にするかは事前に決まっているのではないか? であれば、その分量に合わせてライター自身が書けばいい。話が弾んで2時間、3時間になったとしても、4000文字と決まっていたら、じゃあこのトピックを中心に書こう、あとは凝縮したり捨てたりしようということは、書く前にだいたい決められるはずである。

というか、インタビューを終えたあとに、どういうワードを中心に置いて、どういう見出し(記事タイトル)案になるのか、インタビューイに示して反応を見るべきではないのか?

そしてインタビューを終えたら、パワーワードを中心に据えて、メモと記憶だけで、まずは3000~4000字書いてみる。話だけでは読者が理解できそうにないことがあれば、それを調べて追加する。相手の発言内容や言い回しはうろ覚えでもいいから、インタビューを記事として構成するからには「こういう流れを作らなければ成り立たない」という骨格を作るわけである。

その原稿を見ながら、録音を一回だけ聞き流す。そして実際の言い回しに合わせて加筆、修正したり、書き漏らしたけど面白かったことを追加したりして、5000字くらいにする。ここで盛り込む「要素」を決めたら、あとは本格的に推敲して記事として磨き上げる。こういうステップにしなければ「仕事」にならない。

全文字起こしをした後に、なりゆきで見出しをつけるなんて、未経験の素人でもできることである。

「全文字起こしに手を入れるのが私の流儀」なんて言ってる人は、低時給の仕事にならざるをえないことを自覚すべきだ。それが嫌なら仕事の流儀を変える努力をせよ。低スキルでダラダラ時間をかけてるくせに「長時間かかったんだから原稿料上げろ」なんて言うのは恥ずかしい。要領よく仕事をするスキルを磨くべきだ。

Q.どうやって練習したらいい?

次の質問はこちら。

いつかインタビュー記事を書きたいと思っているのですが、日々どういったことを訓練したらいいのかわかりません。

これはインタビューに限らないのだが、「簡単に書く方法が書いてある本を教えて欲しい」という質問はよく受ける。しかし、これに沿って書けばいいというマニュアルみたいなものはないと考えた方がいいし、そんな仕事ならライターなどと名乗れないだろう。

ライターに必要なのは、第一に「確かな読解力」である。読解力を鍛えるためには、他人の文章を読む質と量が必要だ。チートな近道を通っても、実力の厚みはつかないと心得るべきだ。

他人の文章を的確に読めない人には、きちんとした文章は書けない。だから、インタビューを書きたいと思ったら、自分が書かなければならないタイプと同じインタビューをたくさん読むべきである。

もしもいろんなタイプのインタビューを書き分けられるようになりたいと思えば、いろんな種類のインタビューをたくさん読めばいいだろう。

インターネットの出現で、人間は以前よりも多くの文章を読んだり書いたりしているはずだ。しかし、そんな中でライター志望の人と話をしても、読む量も質も足らないと感じることが多い。特に問題なのは、質だ。

当然のことだが、ネットで無料で読める文章よりも、カネを出さないと読めない本や雑誌の方がレベルが高い傾向にある。本屋に平積みされた自己啓発書や、はあちゅうなどのウェブライターのコラム、林真理子や村上春樹や江國香織を手に取って「スラスラ読めた~」とかアホなことを言ってると、いつまで経っても読解力も文章力も高まらない。

他の人が読んでいない歯ごたえのあるものを発掘して読み込んで、自分だけの芸風に取り込みたいとか思わないのだろうか。

とはいえ、ネットでもたまに優れたインタビューがあるので、それを何度も読み込むことから始めるといいだろう。

なお、インタビューの形式には大きく2種類ある。ひとつは「一問一答形式」で、インタビュアーの問いとインタビューイの答えが対応しているものだ。個人的には前DANRO編集長で、いまは関西大学総合情報学部特任教授を務めながら「あしたメディア研究会」というオンラインサロンを運営する亀松太郎さんのインタビューは、友人ながらいつもうまいなと感心する。

このインタビューを読めば分かるが、質問がとてもいい。事前に本を読んで準備しているし、相手の発言をきちんと理解し、「ひとりを楽しむ」というサイトのコンセプトを踏まえながら、相手に抱いた興味を基に、新たな疑問を投げかけたり、自分の意見を述べたりしている。

要するにインタビューである以前に、まともな大人としてのコミュニケーションが成り立っているということだ。ライティング(書くこと)以前に、そういうコミュニケーションができない人に、いいインタビューなどできるわけがない(「コミュニケーションに依存するのは危険だ」という記事タイトルと矛盾するように見えるが、それは別の問題である)。

インタビューのもうひとつの形式は「地の文+会話文形式」だ。ルポ・スタイルとも言うが、前ハフポスト記者で現バズフィード記者の吉川慧さんの記事が個人的に印象に残っている。

ルポの特長は、一問一答よりも周辺情報を豊富に取り込める点だ。以前、とある編集プロ代表によるインタビューを読んだのだが、答えよりも質問の方が文字数が多いという悲惨な状況になっていた。こういうときはルポにした方がいいという案は、彼の引き出しにはなかった。おそらく経験と読書量が不足していたのだろう。

個人的には、インタビューといえば「一問一答」は安易で芸がないので、ルポをうまく書ける人がもっと増えて欲しい。ただ、地の文で書き手が妙にエモく語り始めるのは、個人的にはいただけない。

この他、インタビューには「モノローグ」という形式もあるだろうと言う人もいるだろう。インタビューで聞いた答えを、問わず語りで話しているように書き下す方法である。坂本龍一の「音楽は自由にする」(新潮社)なんかがそうだった気がするが、無名な人相手に内輪受けでやってるのを見ると、こっちが恥ずかしくなるので普通のライターにはおすすめできない。

Q.語れるエピソードをどう引き出すか?

一般の方への取材のとき、話引き出すのに苦労しますね。語れるエピソードがある方ばかりじゃないので。

なぜそんな人にインタビューしなければならないのか、目的が分からないので助言しようもないのだが(目的大事)、一般論として「エピソード」や「ストーリー」を引き出そうとするのは必ずしも得策でない気がする。それよりも大事なのは「キャラクター」だ。

経験の浅いド素人がやりがちなのは、例えば「好きな果物は何ですか? スイカですか。ありがとうございます。それでは次に、好きな音楽は何ですか?」と、事前に準備しておいた質問をいくつも投げかけて、その答えだけ書いて終わりというやり方である。

これでは、いかにも「相手に興味がない」ということが透けてしまう。そうならないために、事前の質問は補欠としていくつも準備しておいていいのだが、柱としたい質問は3つとか5つとかに絞っておき、それを掘り下げるような聞き方をした方がいい。例えばーー、

「好きな果物は何ですか?」「スイカです」「意外ですね。スイカのどこが好きなんですか?」「だって、食べた後に何か元気になりません?」「確かにミネラルが豊富みたいですし、夏が来たって感じしますよね」「そう、そこがいいんですよ!」「夏、お好きですか?」「ええ、私は夏の・・・」

みたいな感じで、スイカを起点に相手のキャラクターが掘り下げられていく。何なら質問はスイカ縛りにして「なぜ○○さんは夏にスイカを食べずにはいられないのか?」みたいな見出しにすることも考えられる。

どのようなインタビューであっても、起点となるネタはできるだけ絞り込んで、そこからの掘り下げをいかに深くするかがポイントではないかというのが、個人的に考えるノウハウである。

インタビューに限らず、ニュースを起点にした読み物コラムを書くときでも、ネタとする部分は最も面白いポイントだけに絞り込み、いい意味で「針小棒大」で書くことがコツだったりする。インタビューでもそれが応用できるのではないだろうか。

Q.何から話し始めればいい?

いきなり本題の質問に入るのも唐突ですよね。かと言ってアイスブレイクから始めると記事の頭の方がダラケてしまうし。

インタビュー記事のありがちな質問に「そもそも」「きっかけ」がある。「そもそも、なぜ作曲家を目指そうと思ったのですか?」「画家になろうと思ったきっかけは何ですか?」といったものだが、これを最初の質問に持ってくると、記事が途端に無芸で安直なものに見えてくる。

とはいえ、これらの質問はアイスブレイクには便利だし、読み手にインタビューイを理解させる材料を引き出すこともできる。そこで、話の切り出しは「そもそも」で切り抜けておき、記事に編集するときに、それを途中や最後に移動することで印象を変えることができる。

例えば、インターネットメディア協会の下村健一さんが、バズフィード編集長(当時)の古田大輔さんにインタビューした記事では、最初の質問で“何をもって「健全」と判断するのかは、とても難しい問題です”と厳しく切り込みつつ、「そもそも」の話で記事を終えている。実際の質問がこの順だったかどうかは分からないが、もしも記事の中で逆に構成されていたら、読後の印象はかなり変わったのではないだろうか?

jima.media

終わりに

いかがでしたか? とりあえず1万2000字を超えてしまったので、このあたりでやめておきますが、何か思いついたら随時加筆します。ご要望があれば、また何かテーマを設けて書いてみたいと思います。読んでいただき、ありがとうございました。