合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

ブーレーズと「夜明け」

終電で寝過ごして、終着駅で駅員に起こされて割増タクシーで帰ってきても、やはり当面はブーレーズについて1日1本は書いておかなければならない。

夜道をとぼとぼ帰りながら記憶をたどれば、闇夜に差す光の表現が秀逸だったことが思い起こされる。

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もっとも端的なのは、昨日も書いたシェーンベルクの「浄夜」で、リヒャルト・デーメルの「見上げると、月がついてくる/女の暗いまなざしは、月明かりに呑まれる」といった詩を下敷きにしているのだから、説明するまでもなくそのままの話だ。

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ストラヴィンスキーの「火の鳥」でも、1910年作曲の全曲版(原典版)のLPで言えば、B面の冒頭の「夜明け」の場面が最大の聞きどころだ。

トランペットが遠く近くと鳴って、まさに夜が明けていく場面が演出される(個人的にはシカゴ響よりNYPとの旧録の方が好きだ)。

ここから、有名な「カスチェイの踊り」が始まる前までの間が、まさにストラヴィンスキーの才気が爆発しているけれども、その魅力を一番引き出しているのがブーレーズだといつも思う。

3つめはラヴェルの「ダフニスとクロエ」の夜明けで、これも全曲版のLPのB面の冒頭である。この動画でいえば40分過ぎのところ。ちなみにこの曲のベスト盤も、個人的にはブーレーズが振ったNYPの演奏だ。

4つめは、ドビュッシーの「影像(Image)」という組曲の中の「イベリア」。

この曲はさらに3曲に分かれていて、2曲目の「夜の薫り」から3曲目の「祭りの日の朝」にかけて、文字通りの夜明けが表現されている。特にこの動画の20分あたりから23分あたりまでがそれだ(一番いいところでCMが入ってしまう)。

なお、夜明けの表現を得意としたブーレーズは、逆説的であるが、夜明けという具体的な事象を音楽によって模倣しようとはしていない。ただ、楽譜に書いてあることを明晰に再現しようとした結果、素晴らしい夜明けとなっただけということである。