合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

消え物としてのコマエンジェル

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2017年4月21日と22日は、コマエンジェルの記念すべき「幾星霜リターンズ」の公演日だった。3ステージ、延べ420人ほど集まったお客さんたちは、それぞれの場面で感情を揺さぶられ、笑って泣いて、号泣のあまりお化粧がすっかり落ちてしまった人もいた。

翌23日、コマエンジェルのメンバーたちのフェイスブックには、来場してくれたお客様への深い感謝の言葉が綴られていたが、いつものように自分たちが成し遂げた偉業にはあまり気づいていない様子だ。

おそらく彼女たちはいまごろ何気ない顔をしながら、すでに「持ち場」に戻っているのだと思う。気持ちのよい快晴だったし、たまっていた家族の下着と一緒に、自分の衣装やカツラなどを洗濯したり干したりするにはもってこいの天気だった。

来場者アンケートには「まさにプロの仕事」という勘違いした絶賛があったけど、彼女たちはプロのダンサーではない。それはパフォーマンスのレベルが及ばないということではなく、彼女たちの本業はあくまで「主婦」なのである。

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今回の新大久保は、昨年9月に本拠地・狛江で行われた「幾星霜」の再演だ。結成10周年にして初の自主公演作品は、これまで頑張ってきた記念という程度だったのかもしれないが、チケットが一瞬で売り切れ、公開ゲネプロを含めて延べ1000人を超える観客を集める事態となった。

彼女たちには想定外だっただろうが、観客は彼女たちの魅力に取り憑かれてしまった。もっと見たい、もっとやって欲しいという声に応え、その年11月の酒田公演(白ばらVer.)と今回の再演につながっている。

さかのぼれば10周年の自主公演をやろうという声が出てきたのは、その2年ほど前だという。それから週1回、数時間ずつコツコツと演目を一つひとつ仕上げていった。素人の主婦たちが振り付けやフォーメーションを覚える積み重ねの地道さたるや、ちょっと想像を絶する。

もちろんそれだけの時間を捻出するだけでも、家族の協力が必要だったし、活動に疑問を呈する親族もいたようだ。そんな中、彼女たちは四六時中、家族に尽くすように家事をして役割を果たし、その合間に自主練習をし、自分がやりたかったパフォーマンスを少しずつ積み上げてきたのである。

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時代はいつの間にか「主婦」と名乗ることが憚られる世の中になってしまった。もちろん、働きたい女性が存分に働ける世の中はよいことだ。女といえばお茶くみ、腰掛けと制限せず、男女関係なく実力で仕事を得られ、結婚や出産によってキャリアが中断されない仕組みを作ることは、多様な生き方を支援するうえで必要なことだと思う。

ただ、外で働くことが称揚され(背景には生産人口を維持したい社会的要請もある)、家事や育児は外部サービス化されるべきといった価値観などから、経済的な生産活動を行わない主婦は「輝かない女性」「男性社会に抑圧され、男性に隷属する不自由な存在」のように見られる副産物ができてしまったのは不幸だ。

しかし、コマエンジェル――少なくとも「幾星霜」の中の彼女たち――は、主婦をそのようには考えていないし、誇りをもって堂々と「主婦パフォーマンス集団」を名乗る。愛する夫と家庭を築き、子供を産み、愛情を存分にかけて育てて社会に送り出す。家事のプロとして、家族が帰ってくる場所としての家庭を守る。そういう役割の大切さってあるよねと、彼女たちは気づかせてくれる。

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彼女たちは、声高に世に訴えない。「世の中を変える」とか「地図に残る仕事をする」とか、しゃらくさいことを言い出すのは、いつも決まって男の方だ。そんな男の、子供っぽい幼稚なロマンを温かく見守りながら、主婦たちは「歴史に残らない仕事」を日々積み重ねている。

彼女たちの仕事は、家族への愛である。「お母さん、あのね」と帰ってくる子どもを、母として毎日抱きしめてあげて何が悪いのか。働きたい女性の子どもに耳を傾けてくれる存在を、公共サービスとして準備することはこれからの社会に必要だ。でも、みんながみんな“母としての権利”を放棄しなくてもいい。

自分のキャリアを追求し、社会で実力を発揮し、世の中を大きく変える仕事ができることも貴重だ。でも、家族に尽くし、仲間に尽くし、お客さんに尽くす。そして他人を輝かせることで、いつしか自分も輝き出す。そういう生き方だってありじゃないか。コマエンジェルを見ていると、そう感じてしまう。

そんなお遊びができるのは夫の稼ぎがいいからだ(笑)とか屁理屈で批判することもできるだろう。まあそうかもしれないが、でも主婦だってまともにやろうと思えば大変な労働なのだ。それにメンバーにはフルタイムで働くバリキャリもいるが、立場を異にするメンバーに不平なんか言わない。みんなそれぞれの立場で、言い訳なしにやれることをやればいいと思っているからだ。

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男性の観念的な解釈でいえば、実は「幾星霜」という作品は、問題作ともいえる。主人公は戦前に生まれ、踊り子としての夢を持ちながら、それを諦めて家庭を選び、主婦として、母として無名のまま生をまっとうする名もない女性である。

戦後の高度成長期には、男たちは企業戦士として経済復興に貢献したとされる。歴史の教科書に載るのは、もっぱらこちらの話だ。作品とは無関係だが、会社のカネで酒を飲み、酔っ払っては「誰のお陰で飯が食えると思ってるんだ!」などと妻に絡んだ夫もいたことだろう(本当は上りのエスカレーターに乗ってただけだと思うけど)。

そんな男性的で功利的な価値観の陰で、歴史から消し去られようとするひとりの主婦を、コマエンジェルは主人公としてすくい上げて、いまの日本を築いたかけがえのない存在として描いた。

人の命をつないで来たのは、一人ひとりの女性だ。女たちの仕事は、男たちが戯れる砂上の楼閣の下を流れていまにつながる、清らかな水脈なのだ! 男社会にどっぷり浸かってしまったオッサンには、きついカウンターパンチになるかもしれない。ぜひ次回は夫を連れてきて見るといいです(笑)

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どんなに偉そうなことを言っても、人間は母親からしか産まれない。その生命をつなぐ仕事は、こんなにも尊いということを通じて、作品は3つの対象へのメッセージを打ち出している。

まずは自分を産み育ててくれた母親への感謝として。アラフィフを含むコマエンジェルの母親世代に対する、直接的なメッセージだ。リーダーのミワティの演出ノートには、こんな言葉が書かれている。

誰もが今の母を見たなら、ただのボケ老人に映るだろう。でも母の人生は、「今」の下に深く眠っている。母だけではない。すべての先人や先輩たちは、私の比ではないほどに幾多の経験をし、人生を闘ってきた歴戦の古豪なのだ。

そして名もなき女性の形なき偉業を追い、その生き方の尊さを示すことが、いま子育てに疲れ、日々の家事と孤独に押し潰されそうになっている母親世代に対する励ましにもなっている。これは劇中でミッチャンが歌う「ゆうぐれなき」(NOKKO)の歌詞からも分かるだろう。

3つめは、この作品を演じること自体が、コマエンジェルのメンバーの悩みとそれを解決する希望になっているということだ。…ということで、気づけば長々と書いてしまったコマエンジェル・ウォッチャーおじさんの観劇日記は以上である。ちなみに「幾星霜」には、おじさんは出てこない。<以下告知>

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ステージ写真は、すべて大島りんごさんの撮影です。

母というものは、歴史に形として残るものに興味を示さないのですね。子の心に愛のともしびを残して、未来に託す以外には。

5月28日の博品館劇場の公演までは「幾星霜」のコマエンジェルを見られるけれど、それが終わったらまた彼女たちは、それぞれの「持ち場」に戻ってしまう。

金字塔を建てるとかより、お客さんの心に愛のともしびを残すことしか考えていない彼女たちは、残念ながら「消え物」なんですよ。いま見ておかないと後悔しますよーーって、けっきょく宣伝か!!!

 
とりあえず「コマエンジェル」のフェイスブックをフォローしてね(笑)

4/25追記:イベントページできた。「幾星霜Okawari」www

 

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