合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

蓮実重臣くんと音楽の魔法

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蓮実重臣くんが死んでしまった。同い年の彼を紹介してくれたのは同じ大学の先輩Mさんで、彼女がある音楽集団(しばらく後にそれが京浜兄弟社という天才の集まりだと知る)のコンピレーション・アルバムに参加するので、演奏の手伝いをしてほしいという。お互い20代の前半だった。

バブル崩壊前でニュー・アカの香りが残る時代だったから、彼の父上の蓮實重彦氏の本はよく(さらに祖父・重康氏の美術史の本も)読んでいたし、『反=日本語論』に出てくる一人息子が重臣くんであることも、母上がベルギー人で、母方の祖父が『タンタン』のエルジェと親しかった編集者・画家であったことも知っていた。

そんな文化資産の塊のような彼を前に、自分の才能のなさに恥じ入って自暴自棄となり、無味乾燥な法律出版社での自傷行為のようなサラリーマン生活に突入する――のは翌年の話で、待ち合わせの場所に現れた美青年を見たとき、家族の話はやめようと決めた。目の前の人間にきちんと向き合わないのは、とても失礼なことだと思ったからだ。そう思わせる澄んだ瞳をしていた。

家にお邪魔して、1階のピアノの横に書きかけの原稿用紙とチェリーの赤い箱が置かれていたり、2階の彼の部屋の本棚がすべて藤枝静男で埋まっていたりするのをみると、やっぱり華麗なる血筋のことを意識せざるを得なかったけれど、彼の曲を少し合わせた後、ふと「どんな音楽が好きなんですか?」と尋ねてからは、余計なことは思い出さずに済んだ。

彼は本当に音楽が大好きで、ずっと音楽の話ばかりしていたからだ。

短い交流の間、練習や「ベルギーから友達が来たから紹介する」といった用事のほか、音楽の話をするためだけに何度か彼の家に足を運んだこともあった。彼の趣味は幅広かったけど、特にフランス近代のクラシック音楽が好きで、幸い僕の守備範囲でもあったので予想以上に意気投合した。

彼はモーリス・ラヴェル、とりわけ幻想的オペラ『子どもと魔法』が大好きで、初めて会ったときも中国茶碗が「ハラキリ、雪州早川・・・シーノワ!」と支離滅裂に歌う場面をピアノで弾いてくれた。

その、日本も中国も一緒くたにしたデタラメな東洋イメージに基づく放埒な響きは、後に蓮実くんを高く評価する細野晴臣がYMOの前にやっていたティン・パン・アレイやイエロー・マジック・バンドを思い起こさせる。

いまその音楽を聞き返しながら、蓮実くんも子ども時代は、オペラの主人公の少年のように「宿題なんかしたくない!」と暴れたのかもなと可笑しくなった。実際、上品で落ち着いた雰囲気の彼だったが、何かの拍子に子どもっぽく「キャハハハハハ!」と無邪気に笑ったものだ。もしかしたらパリで育った子供のころ、中国人とからかわれた経験もあったかもしれないけど。アイデンティティのゆらぎと、自虐的なユーモア。

そのころはまだカセットテープ時代で、僕は自室のレコードから、ジャン・コクトーの取り巻きだった「フランス6人組」、中でもフランシス・プーランクやジョルジュ・オーリック、ダリウス・ミヨーやアルチュール・オネゲルの録音をダビングして彼に渡した。彼はすでにオネゲルの曲は持っていて、「Pacific 231」がお気に入りだった。

ただ、その曲名が後に彼自身の音楽ユニットのネーミングに使われ、アルバム『Tropical Songs Gold』のジャケットになったときには、オネゲルの寒々しい音響や元ネタとなった蒸気機関車とは完全に切り離され、細野さんの『泰安洋行』のように、ただただ果てしなく広がる太平洋と、そこに浮かぶ南洋の小島をイメージさせるものに換骨奪胎されていた。

フランス6人組といえば、彼が2009年に音楽を手がけたテレビ東京のアニメ『ささめきこと』にも、そんな香りのする曲がいくつかあった。このアニメはamazonビデオですべて見ることができるけれど、その音楽には蓮実くんの澄み切った瞳のような、繊細な美点が遺憾なく発揮されていて本当に素晴らしい。確かミヨーの『スカラムーシュ』に似た軽快なリズムのピアノ曲(「女子部のみんなで出かけよう!」だ!)や、6人組ではないけれどオリヴィエ・メシアンのピアノとオンド・マルトノの二重奏にインスピレーションを得たような曲があったのではなかったろうか。

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とはいえ、彼のその後のすべての音楽が、僕らが出会ったころに聴いた素材だけでできているとは思わない。後に星野源もメンバーだったSAKEROCKと蓮実くんが共演したときにはラテン音楽をノリノリで歌っていたし、『ケロロ軍曹』のアルバムにも参加していたし、本当にいろんな音楽に触れる機会がたくさんあったと思う。

それでも――これはもしかすると勘違いかもしれないけど――蓮実くんが毎日映画コンクールの音楽賞を受賞した『私は猫ストーカー』の主題歌は、僕が彼にあげたプーランクの歌曲集の中にあった「愛の小径 Les Chemins de l'amour」が下敷きになっているのではないかと思った。

プーランクの「愛の小径」と蓮実くんの「猫ストーカーのうた」の共通点は、前半が短調で書かれていて、後半が長調で書かれているところ。そして、その短調と長調が同主音であるところだ。

同主音というのは、短調と長調が同じキー音でつながっているということだ。「愛の小径」は嬰ト短調(G#minor)→変イ長調(A♭major)で、表記は違うけれど同じ音である。一方の「猫ストーカー」は、イ短調とイ長調なので、どちらもイ(A)の音を主音とする調となる。

主音が同じ短調を長調に転調すると、どういう効果が出しやすくなるのか。たとえば上の「愛の小径」の動画の0分48秒あたりのところで、ソプラノが同じ音を長く伸ばす間に、伴奏のピアノが短調から長調の音階に移調することで、グラデーションのように曲を明るくできるのである。

プーランクがかなり独特なコードを使って魔術的な移調を行っているのに比べるとシンプルではあるけれど、蓮実くんのねらいも基本は同じである(猫ストーカーの0分53秒あたり)。

さらに蓮実くんは、たとえば猫ストーカーの0分20秒あたりでシロフォンで音を4つ入れているけれど、短調の中にさり気なく長調の音階を入れて、プーランクほど憂鬱じゃない小雨の空からチラッと陽が差すような、あるいは雨が止んだ軒下から水の粒が滴り落ちるような、絶妙な効果を上げている。

そう、このさり気ない思いやりのような、アンニュイな表情に一瞬現れる微笑みのような和音にこそ、蓮実くんの個性が出ていると思う。こういう例は、他の曲にもちょこちょこ顔を出しているのではないだろうか。そんな彼の新しい曲がもう聴けないのは、本当に悲しい。

彼が周囲に与えてくれた「さり気ない思いやり」については、ここでくどくど書く必要はないだろう。そういえば、『ささめきこと』第一話の後半にかかったところで、主人公が「ともだちって、いいな」とつぶやくシーンがあった。ほんの短い時間だけだけど、友達のように接してくれてありがとう。

(2018年6月17日追記)このエントリーは、蓮実くんの死をダシにした下らないまとめ記事が検索上位に来ていたことに憤って書いたものでした。本当はもっと親しい人の文章があるといいのですが……。

たとえば菊地成孔さんが<ビュロ菊だより>で書かれた文章は、蓮実くんについて知りたい人は必読です。全文を読むためにはニコニコチャンネルへの入会が必要ですが、これを読むためだけに一ヶ月入会してもいいと思います。

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それから、タワーレコードのフリーマガジン「intoxicate」に掲載された小沼純一さんの文章もおすすめしたいです。

なぜ音楽を聴いて、つい、と涙がでてしまうんだろう。蓮実重臣の名のみ知っていたときにも、すこしやりとりをしていたときにも、そしていなくなってしまってからも、《私は猫ストーカーの歌》は、かならず、涙腺が刺激される。そのことは伝えずじまいだった。

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