合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

山形国際ドキュメンタリー映画祭2017の鑑賞メモ #yidff2017

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10月7日(土)から9日(祝)までの3日間、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ってきたので、忘れないうちにメモ。開催期間は5日(木)から12日(木)までの1週間で、最終日には受賞作品を一気に上映したようだ。

www.yidff.jp

映画館のほか、中央公民館や市民会館、美術館など数多くの会場で、数え切れないほどの作品が上映されていたけど、そのうち見たのは10本ほど。一緒に行ったKさん夫妻とMさんと話し合って決めた。

なお、中日8日の午前中は、酒田市からたまたま来られていたSさんご家族のお誘いを受け、河原の芋煮会に参加させてもらった。食欲最優先の僕には、忘れられない最高の思い出。「粘りのある旬の山形の里芋のおいしさ」というのは、あまりにも地味で、言葉でなかなか説明しにくいものですが、現地のできたてでしか味わえない名物だなあと思いました。本当においしかった。貴重な機会をありがとうございました!

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目からウロコ! ドキュメンタリーはもっと自由でいい

最初に見た作品は、沙青(シャー・チン)監督の「孤独な存在」で、これを最初に持ってきた判断(前日から来ていたKさん提案)はとてもよかった。

今回の映画祭で経験したもっとも重要なことなのだが、ドキュメンタリー映画というと、ある特定の社会問題をテーマに、それを告発するとか暴露するとかいう力んだものをイメージしがちだが、そういう調子でテーマが出てくるのをいくら待っていても、この作品には全然出てこない。

何か所かの愛着ある場所が季節を変えて繰り返し撮影され、合間には近隣住民の隠し撮りのようなものが挟み込まれている。上映後に監督が「命にかかわる病気」と言っていたことから考えると、おそらく何か精神的な病で引きこもり状態だった監督が、撮れるものを撮りながらから立ち直っていった様子が映像に定着されているようだ。

作品の印象は、ほとんど前衛的な映像詩のようなもので、上映後の監督インタビューでは、この作品が12年(だったかな)かけて撮られたことが語られた。確かにこれもドキュメンタリー映画だ、と目からウロコが落ちた。この作品がインターナショナル・コンペティション(15作品が対象)の優秀賞(5位以内)に入るのだから、世界のドキュメンタリーの手法は本当に自由だ。

もしもこの映画祭が「ドキュメンタリー映画とは何か」という定義を作り、その要件を満たしたものでなければ受け付けないものであったら、どんなに退屈だったことだろう。蓮實重彦氏の

何かにつけて「とは何か」という原理的な問いを立てたがる人に、ろくな人間がいたためしがない(「私が大学について知っている二、三の事柄」より「変化する細部への偏愛」)

という言葉を引用するまでもなく、「これもドキュメンタリー映画なのだ」「ドキュメンタリー映画はこうしたものでもありうる」といった多様で挑戦的なラインナップが並んでいる様子は、映画祭事務局の高い見識を表しているように思える。

実は深夜バスで当日早朝に到着したばかりだったこともあって、上映中に少し寝てしまったが、周囲を見ると、そういう人は意外にも少なくなかった。しかし、難解だから退屈で寝たという反応ではなく、見たり寝たり起きたりしながら、ドキュメンタリー映画を楽しんでいるように思えた。

そう、それでいいのだ。そもそも私たちは、日ごろからテレビなどで過剰な演出と編集に煽られるのに慣れすぎている。まるで笑ったり泣いたりするよう強いられるかのように。しかし本来、人生には目的はなく、あるのは暇つぶしだけだ。私たちは、もっと多様な暇つぶしの方法を開発する必要がある。

「撮り手の倫理観」を問う質問は公式に禁止すべき

その後で見た作品は時系列ではなく、印象に残った順で。

ラーフル・ジャインの「機械」は、インドの紡績工場とそこで働く労働者の様子を、工場の奥まで分け入って撮影した作品だ。

湿気と高温で疲弊する労働者と、できあがった布地の鮮やかさの対比にインパクトがあった。巨大な機械がガンガンと音を立てて作動する音響もすばらしかった。上映場所の市民会館はDolby Atmos(アトモス)に対応していなかったが、対応館だともっと迫力があるらしい。

ここでドキュメンタリー映画祭の観客に、ひとつ不満をぶちまけておきたい。

この映画が終わったあと、中年男性が監督に対し「ドキュメンタリーは彼らを救えるのか?」という質問をした。この手の「撮り手の倫理観」を問う質問は他の作品の上映後にもなされたが、自分は抗議の意を表すため質疑応答の最中に途中退場した。

ジャイン監督が「アートにはアートの役割がある」と答えるまでもなく、ドキュメンタリー映画の監督にできることは撮ることであり、観客にできることは撮られたものを見ることにほかならない。ありきたりな「意味」や「深さ」を見出す前に、まずは自分の両目でスクリーンを見たほうがいい。

確かに「機械」では、終盤で監督が群がる労働者たちから「お前も政治家と同じように、話を聞くだけで助けてくれないのか」といった詰問を受けている。質問した観客も、この労働者の立場に同情したのだろう。映画の公式パンフも「その内部はどこまでも続く労働搾取の森である」と告発調だ。

だが労働者の困窮は、経営者が時給を上げれば済むことなのだろうか? 経営者がこの地から撤退したら、労働者はどこで働けるのだろうか? 上流階級生まれの監督が、自分の財産をすべて彼らに投げ出せば問題が解決するのか?

労働者の抗議のシーンの後、画面をよくよく見ると、彼らの中には腕にブレスレットをしていたり、カラフルなシャツを着ていたりする人もいた。イデオロギーで映画を見る人はそういう画を見落としがちだが、工場の恩恵を受けている人もいるのだ。

機械を使う側に回って、成り上がろうとする野心を明かす子どもも登場した。自分たちは望んできているのであって、これは強制労働ではないと明言する人もいた。もしかすると大人の労働者たちも、自分たちに不都合な事情を隠してゴネているのかもしれない。

そういう現実を無慈悲に撮影し、他の場所で上映して他者に見せる機会を作るのがドキュメンタリー映画というものだ。そこから勝手にありきたりな勧善懲悪の物語を引っ張り出して、映画内の「悪」やそれを撮影する監督を糾弾する観客(それもたいがい中年男性)がいることには、苛立ちを禁じ得ない。

その苛立ちの正体が何か考えていたのだが、またしても蓮實重彦氏の著作にその答えとなりそうな記述があったので引用してみる。

ここでいかにもいかがわしいのは、それを問題と呼ばねば気がすまぬという風潮の蔓延である。(中略)問題とは、「制度」の捏造する具体性を装った抽象にすぎず、生きられつつある現実ではいささかもないからである。現実とは、それが生きられつつある瞬間には、方向を欠いた多様なる意味がわれがちにたち騒ぐ無表情なる表層にほかならない。(「表層批評宣言」ちくま文庫124p)

このような意味での現実の「表層」を凝視することが、ドキュメンタリー映画を見る醍醐味ではないか。確かに映画をどのように見ようと、見る人の自由ではある。しかしその自由を狭めるような紋切り型の鑑賞だけは、映画祭として公式に禁止行為にしてもいいのではないかと思った。

中国とイランの作品はなぜここまで美しいのか

このことは、中国の蘇青(スー・チン)と米娜(ミー・ナー)監督による「カーロ・ミオ・ベン(愛しき人よ)」や、イランのメヘルダード・オスコウイ監督の「夜明けの夢」でも同じことがいえる。

「カーロ・ミオ・ベン」は、視聴覚に障害を持つ子どもたちが通う学校の日常を描いたもので、罪のない障害児をやっかいものにする親戚(特に祖母)の存在がほのめかされる。子どもたちはそんな親戚に悲しみや怒りを抱いている。

新年を更生施設で迎える女性たちに密着した「夜明けの夢」では、事態はもっとダイレクトに深刻で、家庭が貧しいために窃盗や強盗、麻薬や殺人を強いられた女性たちの生い立ちが告白される。

これらのケースでは「機械」とは異なり、弱者である子どもたちや女性たちは一方的な犠牲者だ。明らかに解決すべき「問題」が存在する。しかしそれは複雑な要素が絡み合った構造的なものであり、どこから手を付けてよいかを指摘するのは難しい。もちろん強引に解決する道はあるような気もするが、それが文化や宗教に根ざしていた場合、そこに他者が手を突っ込んで変えることの正義はあるのだろうか。

「夜明けの夢」で、更生施設の女性たちが大きな声を揃えて楽しそうに歌う歌に、こんな歌詞があって胸を打たれた。

あなたが幸せだからといって、不幸せな私を笑わないで

もちろん「カーロ・ミオ・ベン」も「夜明けの夢」も、社会問題に要約されてしまうような、つまらない映画ではない。登場する子どもや女性の姿は魅力的で、映像は美しい。特に「カーロ・ミオ・ベン」に出てくる歌のうまい盲目の女の子が弾くショパンのノクターン2番(1か所、いつも同じミスタッチをするのもご愛嬌)と、映画のタイトルにもなっている歌(イタリア語)には引き込まれるものがあった。

「夜明けの夢」は、施設での撮影の許可が下りるまでに8年かかったと言っていた。日本ではそもそもそこまで粘り強く撮影に挑む人は少なさそうだし、許可が下りたとしても顔にモザイクをかけることが条件になるに違いない。そんなタブーのような映画が、なぜここまで美しいのか。

辛い生い立ちの中でも、愛を求め(個人的には愛を求めすぎるから辛いじゃないかと思うけど)、自分の足で立とうとする懸命な姿に、人間が生きる現実の凄まじい一面を見せられるからだろう。社会の不条理が映画を美しくする不条理。この2つは、アマゾンプライムかなんかで繰り返し見たい。

「酒田グリーン・ハウス証言集」の苦さ

そういえば、映画祭の前の週には別件で同じ山形県の酒田市に行っていたのだが、映画祭ではタイミングよく「世界一と言われた映画館~酒田グリーン・ハウス証言集~」が上映されていた。これは「やまがたと映画」という特集の一環で、短期間で撮影されたものらしい。

映画祭を回っていても、地元山形の関心はあまり高くないみたいだし、山形でこれをやる必然性みたいなものがあまり感じられなかった。その点では「やまがたと映画」という企画は大変有意義なものだと思う。次回以降もぜひ続けてもらいたい。

会場は立ち見がいっぱいになって、超満員だった。ただし映画の内容は、長年酒田を贔屓にしている自分があえて言うのだから悪意と受け取らないで欲しいのだけど、率直に言って自画自賛すぎたし、酒田以外の人たちから見たら後ろ向きのノスタルジー以外の何物でもないと厳しい意見が出そうだった。

これは日本(特に地方)でドキュメンタリー映画を撮る限界にも共通するのだが、地元に対してネガティブな証言をする人はコミュニティにいにくくなってしまうし、ネガティブな要素を入れ込んだ作品を作った人も非難の対象になってしまうだろう。出資者や有力者からの圧力に負けて、修正を余儀なくされるかもしれない。

(――しまった。ドキュメンタリーを「告発の手段」とする人を揶揄しながら、ついついブーメランを投げてしまった。)

それだけ地方の現状に余裕がなく、のっぴきならないものになっているのだろうけど、国際的なドキュメンタリー映画が集まった会場で他の作品を見た後では、現状を直視してやろうという覚悟の違いに愕然とさせられる。

映画のある場面では傲慢な宣伝臭が強く感じられて、口の中に苦いものが上がってきた。アピールが必要なのだろうが、ドキュメンタリー映画の中でやることではない。「やまがたと映画」の企画自体は素晴らしいが、結局できあがったものは自慰的な宣伝映画ばかり並ぶようでは、事務局としても今後辛いのではなかろうか。

次回は会場のキャパ拡張とか対策打った方がいい

気を取り直して、楽しかった作品に戻りたい。チコ・ペレイラ監督(スペイン)の「ドンキー・ホーテ」で、親戚のおじさんの無謀な挑戦を撮ったユーモア溢れる作品。脱力系コメディ映画として、ミニシアターにかかっていてもおかしくない。ハプニングに遭っても、ドキュメンタリーという枠組みを利用して笑いに変えるエンディングは傑作だ。

南スペインの小さな村で質素な生活を送っていたマヌエル。齢73歳、残りの人生をかけた壮大な旅への出立を決意する。愛するロバと犬を相棒に、スペインからアメリカへ、かつてチェロキーインディアンが辿った3,500キロにおよぶ「涙の旅路」を踏破するのが目的だ。心臓疾患、関節炎、老いが蝕む体の痛みもなんのその、医者の制止すら振り切って、過酷な冒険は続く。旅の過程で育まれる動物達との種族を超えた友情。果たして彼らはアメリカに辿り着けるのか !? 老いてなお自由に、「ありのまま」を生きる姿を讃えるロードムービー!(映画祭公式サイトより)

ベトナム南部のある家族を撮った「ニンホアの家」(フィリップ・ヴィトマン監督)も、中央線沿いで人気が出そうだった。この作品には脚本があるが、大まかな場面設定だけで、話すセリフは登場人物に任せているという。これもドキュメンタリーの一種だ。カットごとのカメラを固定するという、まるで舞台のような画作りもユニークだ。

アフリカ映画の特集もあって、ブライアン・リトル監督の「アフリカン・サイファー」は、驚異的な身体能力のストリートダンサーのユニークなステップに目を奪われた。すげえ。コンテストに向かって走り出すドラマにも惹きつけられた。ダンスとかヒップホップが好きな人にはオススメ。

その流れで夜はSandinistaという店のDJライブに行った。アフリカのジャズやヒップホップのカッコイイ曲がかかっていたのでGoogleさんに読み取ってもらったけど、一曲も認識できなかった(笑)。なお店員さんによれば耐震性の問題で、店は近くビルごと取り壊しになるとのこと。

冷戦時代のキューバのアフリカ解放への関与を描いた「キューバのアフリカ遠征」(2007)という映画を途中で抜けて、「騒乱のレバノン」(1975)を見に行ったけど、正直そのまま見ていたかったほど面白かった。そういう失敗も楽しいほど、いろんな映画が浴びるように上映されているので、本当に贅沢な気分になれる。

ただし「騒乱~」の方が同時通訳の女性が一人何役もやるので、わかりにくくて聞きにくかった。関係者には申し訳ないが、美術館で上映した同時通訳モノは、努力して改善した方がいいと思う。

また日曜日と祝日は立ち見がだいぶ出ていたので、このままだと次回(2019年)はパニックになる会場も出るのではないかと心配になった。すでに関係者の懇親会について苦言を呈している地元の方もいた。

山形大学の人も酒田の人もほとんど知らないと事前に聞いたので、PRの手伝いをしてあげようかと思ったくらいだけど、まずは地元の方への説明やコミュニケーションが必要ではないか。

会場のキャパの拡張なども合わせて行わないと混乱が解決せず、人が増えてもかえって不満が噴出しそうだ。映画好きのボランティアだけでなく、「運営のプロ」を入れる段階ではないかと思う。