合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

三善晃「反戦三部作」と能

眠たい(by 天竺鼠 川原)。でも先週の三善晃「反戦三部作」の感想をメモしておかないと…。たった一週間前のことなのに、もうだいぶ前の話に思える。指揮をした山田和樹さんもインタビューで三善作品を「揮発する」「虹のようなもの」と表現しているけれど、あれだけ壮絶な世界を見せられながら、つかめた感じがしないのは不思議だ。それでいて演奏会中は、三善音楽が身体に注入されて満ちていく感覚があった。翌週は仕事のモチベーションを保つのが大変だった。この豊かさと測りあえる時間の使い方ができる自信がない。

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いきなりだが「反戦三部作」という呼び名には違和感がある。戦争を扱った音楽には違いないが、反戦という言葉にまとわりつく思想、イデオロギーは皆無だ。そんな甘いものではない。「人間を返せ」みたいなメッセージを介さずに、戦争と戦死そのものが再現されている。「阿鼻叫喚三部作」に近く、だから普遍性がある。

「多摩川で水遊びしていたら、隣にいた子供たちが機銃掃射で真っ赤に血を流して死んでしまった。それを見ても自分はただ着替えて家に戻ってくるだけなのです。累々と死体が横たわっている上を私はまったく無感動で、死体を飛び越えて歩いていたのです。天に向かって突き出ている死体の指を引っ張ったら、手袋が脱げるように肉が取れた。その後、私は生きていることの罪の意識から離れることができなかった」(三善晃)

三部作の構成は、特攻隊員の遺書などをテキストとした「レクイエム」(1972)では死者から生者への呼びかけ、宗左近の詩を用いた「詩篇」(1979)では生者から死者へ「花いちもんめ」の呼びかけが行われる。そして最後の「響紋」(1984)では、死者と生者が手を取り合って輪になって「かごめかごめ」をする。だから三部作を一晩で一気に聞く意味は大きい。ただ、演奏者の規模も大きいし演奏にもエネルギーがいるので、これまで演奏されたのはただの一度しかなく(「作曲家の個展'85」の尾高忠明&N響以来)、史上二番目の現場に立ち会えたということになる。

個人的な体験としては、「響紋」の初演がNHK-FMで放送されたときにラジオにしがみついており、あまりの衝撃にしょんべんちびりそうになった。17歳だから高校二年生か。そのあとすぐ、「レクイエム」と「詩篇」の入ったレコードを買い求めて繰り返し聴いた。まあ、受験勉強なんてするわきゃないよね。

今回の演奏で、「レクイエム」における能の要素が思ったより色濃いことに気づいた。打楽器やフルートの使い方、合唱の歌い方に能や謡曲に似た部分があるのは以前から感じていたが、そもそも音楽の構造として、能には「霊が過去を振り返った語りで話が進む」ものが多いことを思い出した。

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九州日向国の旅の僧と従僧(または日向国の人)が、伊勢神宮参詣の旅に出ます。途中、阿漕が浦(今の三重県津市阿漕町あたりの海岸)に着きます。旅僧一行(旅人)は、そこで一人の老いた漁師に出会います。老人は旅僧たち(旅人)と阿漕が浦にまつわる古歌について語り合います。旅僧(旅人)が、阿漕が浦の名前にどんな謂れがあるのかと尋ねると、老人は、昔、阿漕という漁師が禁漁区で魚を取り、見つかってこの裏の沖に沈められたことを伝えます。そして、阿漕の霊は罪の深さにより、地獄で苦しんでいる、弔いをなされよ、と語り、自分がその亡霊であることをほのめかし、急に吹いてきた疾風のなか、波間に消えていきました。

近隣の里人から改めて、阿漕の最期を聞いた旅僧たち(旅人)は、法華経を読んで阿漕の跡を弔います。すると夜半に阿漕の霊が現れ、密漁の様子を見せ、さらに地獄の責め苦にあう自らの惨状を示します。行き場のない苦しみを訴えながら、阿漕は「助けてくれ、旅人よ」と言って、波の底へ入っていくのでした。

なぜ自分が霊になったのか、そのいきさつを僧に話して成仏していく。これは「レクイエム」の作りそのものではないか。三部作あるいはレクイエムにおける能の影響というのは読んだことがないので、あまり重視されてこなかったのかもしれないが、相当深く関わっている感じがした。

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最高の布陣で一流の音楽家がリスクをとった表現をしているのだから、それについて自分の好みや、あるいは過去の録音で形成された思い込みと照らし合わせたああだこうだを言っても意味がないが、あえていえば「レクイエム」の終盤の「ゆうやけ」、小学4年生の女の子が書いた詩の、

人が死ぬ
その
世界の
ひの中に
わたし一人いる
そして、
わたしもしぬ
世界にはだれもいない
ただ
かじが
きかいのように
もうもうともえていた

のところで急にスピードを上げて、オケが過熱し空中分解寸前になった部分が気になった。

山田さんはコンサート後のアフタートーク(ロビーに500人以上集まった?)で「都響はさすが。本番での振り幅(リハーサルとのテンポの差異)が大きくてもついて来てくれた。きょうは倍速くらい違うところがあった」といった旨のことを言っていたけど、それはおそらく「ゆうやけ」の部分を指していたのだと思う。

正直、ここの部分は指定されたテンポで粛々と振ったとしても、惨劇は再現できるように書かれているはずだ。しかし、「人が死ぬ」音楽に、そのような秩序を守った演奏がありうるだろうか。山田さんはそう考えたのかもしれない。結果として、(大切なはずの歌詞が)ほぼ聞き取れない音楽になっていたが、その可否について論評する気は起きない。これは一流の演奏家たちが希少な演奏機会のひとつにおいて、リスクをとって行った表現だったという事実を受け止めるしかない。

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個人的に新鮮だったのは、2曲目の「詩篇」で、これは尾高さんが振った三部作のほかにはナクソスにコバケン(実は初演をやっている!)が振ったものくらいしか録音がなかったが、和声が美しく響く部分はまさに東混と山田さんの本領という感じがした。合唱の呼びかけのような場面では、縦の線が揃っていないところがあった。それもそのはず、あれだけ細かなキュー出しをする山田さんが棒を振っていないからだ。それについて不満を書いているツイートもあったが、まずは批判的に見るのではなく表現を丸呑みしてみるべきだろう。たぶんあそこは、縦の線をあえて合わせないことで、合唱をマスではなく個人(の生あるいは死)の集まりとして扱う意図があったのだと思う。

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3曲目の「響紋」は、合唱団が舞台にいないのに始まってしまい、どういうことかと思ったが、なんと子どもたちが、あの「かごめかごめ」を歌いながら入ってきた。また曲の途中で子どもたちが手を繋いだり身体を揺らしたり、最後の「後ろの正面だあれ」は後ろ向きになって歌ったりしていた。合唱団指導の芸術監督である長谷川久恵氏のアイデアらしい。成否は関係なく、数少ない演奏機会にそういうリスクを負った試みをすること自体は素晴らしい。特にいまの日本はリスクを避けすぎる。

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なお、今回は上野の東京文化会館の大ホール2,300席がいっぱいになったそうだ。とはいえこれにはカラクリがあって、合唱団――東京混声合唱団はともかく武蔵野音楽大学や東京少年少女合唱隊――が出演する場合には晴れの舞台に我が子、我が孫、我が甥姪が出るというので一族郎党こぞってチケットを買い求めるのである。これはビジネスモデルとして今後も活用すべきだ。現代作曲家は少年少女合唱団を入れた曲を書けばいいのではないか(とはいえ実演に向けたハードルも高くなるので諸刃の剣)。