合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

ベートーヴェン「運命」の正しい鑑賞法を考える

※ある媒体から頼まれてボツになった原稿。想定読者は音楽の教師。子どもたちの音楽教育が少しでもいいものになってほしいという祈りを込めて。

日本人にとって、俗に「運命」と呼ばれるベートーヴェンの交響曲第5番がクラシック音楽の代名詞のように思われているのは、実はとても不幸なことかもしれませんね。特に第一楽章は短調で雰囲気が暗いし、繰り返し聴いていると陰鬱な気分になってきます。

だいたい「運命」というのは、クラシック音楽の中ではかなり異質な存在です。乱暴に言うと、あれは「ダダダダーン」という音楽の最小単位をひたすら繰り返して曲を作ってみるという、壮大な実験作だったと思うのです。

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そういう前振りなしに聴いても、普通は「なんだかしつこいなあ」としか思えないのではないでしょうか。まるでクラシック音楽嫌いを、わざわざ増やしているような気がするほどです。

「ダダダダーン」の回数を数えてみよう

そもそもベートーヴェンは「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」作曲家ですから、小中学校の音楽の授業で「運命」の第1楽章だけ流して終わるのは、「苦悩だけ味わえ」という意味になってしまいます。いい記憶として残るわけがない。

少なくともフィナーレまで聴かせてあげないと、フラストレーションの行き場がなくなります。ベートーヴェンだって第4楽章で大爆発させるために、第1楽章でわざわざイライラを溜め込んでいるようなものですから。

それに、日本の音楽教育って知識偏重じゃないですか。このボサボサ頭の肖像画は誰かとか、「楽聖」と呼ばれたのは誰かとか、音楽そのものとはまるで関係がない。そんなペーパーテストで成績を付けられたら、誰だってクラシック嫌いになりますよ。

子供たちを音楽に集中させたければ、数取器(カウンター)を持たせて「ダダダダーンの数を数えてみましょう」と言えばいいのです。「誤差が10個以内の人にはAをあげます」と言ったら目の色が変わりますよ。そしてきっと、こんな質問が来るはずです。

「先生、いまのダダダダーンは1個に数えていいんですか?」
「お願い、もう1回聴かせてください!」

「ベトさんハンパねえッス」と感じて欲しい

運命の「ダダダダーン」は、1種類ではありません。弦楽器の「ダダダダン」の裏で木管楽器が高音から下に降りてくる音型も「タタタタ」で1個と数えます。

穏やかな第二主題の裏で低音が「ブブブブン」と繰り返し弾くのも、第一楽章の終わり近くにヴァイオリンとティンパニーが「ダダダダン」の追いかけっこをするのも1個です。

そうやって数えていけば、軽く200は超えるでしょうね——。これを聞いた子供たちは騒然となるでしょう。ちゃんと聴かなきゃ。音そのものに没入すれば曲の凄さが分かるはずですから、

何回か聴いているうちに、SNSにこんな投稿をする子たちが出てくるかもしれません。

「なにこれ 運命ヤバみしか感じない」
「いやーベトさんハンパねえっす」

「運命」が人畜無害な音楽だと思ったら大間違いですよ。第1楽章は、ほとんど偏執狂的な緻密さとともに、パンクロッカーのような熱い怒りすら感じられます。第2楽章では一転して、おおらかな田園風景が広がるような音楽に変わります。

第3楽章は再び不気味な静けさから始まりますが、そこから切れ目なく熱狂の第4楽章に突入します。2つの楽章を続けて演奏させる手法はベートーヴェンによる発明だそうですが、まるで大気圏に再突入して青白い光を放ち燃え尽きる小惑星探査機「はやぶさ」のようではないですか!

現代人には「ピリオド奏法」の録音がおすすめ

そんなに言うんだったらと、あらためて聴き直してみたけれど、やっぱりクラシック音楽はピンと来なかったという人もいるでしょう。分かります。大オーケストラの荘厳な響きは、現代人には大げさすぎてついていけないんですよね。

こういうタイプの人には「ピリオド奏法」の演奏がおすすめです。ノン・ヴィブラートなど作曲当時の演奏法を研究して取り入れたもので、当時使用されていた「ピリオド楽器」を一部使う場合もあります。

NHK交響楽団の首席指揮者も務めるパーヴォ・ヤルヴィが指揮した、ドイツ・カンマーフィルハーモニ−・ブレーメンのライブ演奏や、

ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のライブ演奏がおすすめです(Youtubeからは削除)。

いずれも小編成のオーケストラですが、引き締まった音が逆に現代的に聴こえるところが面白いです。DVDでライブ演奏を画像と一緒に見るのも、臨場感があっていいでしょう。

※追記:「運命」の冒頭について、42人の指揮者のオーケストラ版と1つのピアノ版の演奏をまとめた面白い動画があった。好みの演奏を探すのには便利だ。