合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

ポリーニの死

ようやく重たい仕事を一息ついたので、ポリーニについてメモ。

20世紀を代表するピアニストが亡くなったというのに、親しみをもって惜しむ声があまり聞かれないのは、本当はみんなポリーニがあまり好きじゃないからなんだろうと思う笑。

その点について浅田彰は「ヘルメスの音楽」の中で的確に指摘していた。

“ぼくはポリーニを聴きながら、その完璧さをフィッシャー=ディスカウの完璧さと比べていた。彼らの隙のない造形がシューマンのフモールを圧し殺してしまうという皮肉。”

多くのメディアが、1960年のショパンコンクールにポリーニが18歳で出場し、満場一致で優勝したときに、審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか?」と言ったという伝説を引用している。

そのためポリーニはショパンの名前と結び付けられ、実際エチュードの録音は伝説的な名演とされている。でもあんなガンガン弾いたショパンは、いくら技術的に完璧でも愛聴したいという人は多くないだろう。良くも悪くも元はサロン音楽なのだから「あれはショパンではない」と言ってもいいと思う。

対照的なストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」は完璧が似合う音楽だけど、猛スピードで金属の弦をガンガン叩くのを聴いていると「これは別に人間が弾かなくてもいいんじゃないか」という気がしてくる。

それじゃ何がいいのかというと、結論としては、フランツ・リストを弾くときにポリーニの美点が最も現れやすいのではないかというのが個人的な偏見だ。リストには、完璧かつ強靭なタッチで弾いても消えないロマン的なものがある。耳を凝らしていると過剰なロマンが音楽を内部から壊し、現代音楽への道を切り拓く響きが聞こえてくる。

モーツァルトやショパンではなく、リストからシェーンベルクを経てブーレーズのピアノソナタ2番の名演につながる系譜こそがポリーニであって、そういうふうなピアニストだと受け取ってあげれば、それにふさわしい聴き方をされて愛されるのではないか。

ということで、リストのロ短調ソナタはおすすめです。

一方で、いくらポリーニでもコンチェルトではガンガン引き倒すことはなく、非常に抒情的な表現も聴かせて来るので、ブラームスの協奏曲などはとても美しいです。リンクは盟友アバドとのベートーヴェン4番。19分45秒あたりからのカデンツァにポリーニの本領があるとも言える。3楽章もいいです。

ところでアバドもポリーニもイタリアはミラノ出身なんですね。イタリア人なのになんでこんなに晦渋なのかと思うんですが、北イタリアってこうなんでしょうか。教えて、イタリアに詳しい人。