合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

スクリャービンのピアノソナタ第5番聴き比べ

スクリャービンのピアノソナタ第5番(1907年)をいろんなピアニストで聴き比べ、その違いについてメモして気を紛らわすことにする。

同じ曲を違う人の演奏で聴く意味

考えてみればクラシック音楽というものは奇妙なもので、作品として残っているものは楽譜という記号だけであり、それを演奏家が演奏しないことには聴取できないという制約がある。

だから、これが絶対という形はない。もちろん「自作自演」や「直系の弟子の演奏」があり、それを絶対視する人たちもいる。しかし、後世の演奏家が楽譜を新たな視点で読み解き直したり、卓越したテクニックによって自演を乗り越えたりする可能性が常に開かれている、と考えた方が有益だ。

それは天才的な「巨匠」の演奏の後であっても同じことが言える――はずなのだが、あるスタイルの規範のようなものができてしまうと、その強力な流れに抗えずに、それを模倣する演奏が蔓延するのが現実でもある。

特に日本人演奏家の場合、師弟関係や自分が属するコミュニティで主流とされるスタイルを崩すことは難しいように見える。農村共同体の名残で、個人が村八分にされると生きていけなくなる恐怖心が強いのかと思うくらいだ。

人はある環境の快適さに慣れてしまうと、それを支えるシステムの暴力性を肯定せざるを得なくなり、システムに排除されている人へ思いが至らなくなる。あるいは見えていながら見ぬふりをしたり、理不尽な自己批判を強いてその排除を正当化したりする。

そんな中でも、過去の演奏を「批評」しながら演奏する勇気ある人たちがいる。そういう批評性の強い演奏は、日々の生活でそこそこの快適さと引き換えに無難さを強いられる絶望的な虚しさから、少しでも逃れる可能性があるような気分にさせてくれる。

疾走するリヒテルの演奏

それでは、まずはどの演奏を基準とするか。いろんな意見があるかもしれないが、スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)の演奏は、後世にかなり強い影響を与えたに違いない。

YouTubeに載っているのは1972年にプラハで行われたコンサートの録音である。リヒテルの演奏は、冒頭の11小節を凄まじいスピードで駆け抜けるのが特徴で、この録音ではわずか6秒07である。

まるで釣り針にかかった魚が、必死で海の底に沈もうとし、暴れまわった末に水面に飛び上がってくるようなプリプリ感がある。

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なお、この11小節は、ポップスやロック感覚だと、ただの奇妙なイントロに思えてしまうが、福間洸太朗氏の解説によると、これがソナタ形式でいうところの「序奏部のA主題」になるようだ。とても分かりやすい説明動画なので、興味のある人は見てください。

329小節目からのPrestissimoは、「きわめて速く」ではあるが、リヒテルは容赦なくスピードを上げ、完璧主義者の彼には珍しくミスタッチも出てくるほどだ。441小節目からのPrestoもかなりスピードがあり、全体を10分53秒(653秒)で弾き終えている。

聴けば聴くほど、説得力のある演奏である。スピードばかり強調してきたが、響きで聴かせるところの美しさも素晴らしく、緩急を繰り返して揺さぶるところもうまい。さすが巨匠の名演だ。

穏当なアシュケナージの演奏

ウラディミール・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)の録音も、期せずしてリヒテルと同じ1972年の録音だが、これもリヒテルの影響を受けていると言ってもいいのではないか。ただ、A主題に8秒22かけており、リヒテルのような激しさは感じない。

スタジオレコーディングなのだろう。無理にスピードを上げてミスタッチが出ることもない。ハラハラする場面もなく、バランスよく曲の隅々まで丁寧に弾いて魅力を引き出している。

なお、全曲で12分3秒(723秒)かかっており、リヒテルより1割あまり長い。彼はスクリャービンのソナタを全曲録音しているが、万人向けのスタンダードな録音はこれと言っていいかもしれない。

YouTubeには日本人ピアニストの菅原望が2012年に弾いた見事な演奏があるが、全体の演奏は11分26秒。リヒテルとアシュケナージの間くらいのスピードである。ただ、A主題は9秒29で、前述の2人より遅い。

権威ソフロニツキーの演奏

YouTubeにはこれ以外にも様々な演奏がある。たとえばウィキペディアに「アレクサンドル・スクリャービンの信奉者にしてその演奏様式の継承者」と書かれているヴラディーミル・ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky)の演奏は即興的な味わいがあり、リヒテルへの影響を感じさせる。

ちなみにソフロニツキーは、スクリャービンの遺児と結婚し、そのこともあって彼の録音は権威と見なされている(なお動画のサムネイルはスクリャービン。ソフロニツキーは生前のスクリャービンに会ったことはない)。

いま人気のユジャ・ワン(Yuja Wang)の演奏も、誰かの隠し撮りのような動画がアップされているが、演奏全体がほぼ10分で、ソフロニツキーやリヒテルの系譜といっていいだろう。ちょっと勢い優先だが、素晴らしい演奏だ。

マルク=アンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin)の演奏は、上記の系譜とは異なり、全体的に明るくてタッチも軽快だ。個性的で面白いと思うのだが、YouTubeのコメント欄には「美しい。でも私にとっての巨匠は間違いなくソフロニツキーだ(It's beautiful. But the master is definitly Sofronistky for me.)」といった書き込みがあるように、好き嫌いが分かれるのかもしれない。

グレン・グールドの革新

ここでスクリャービン演奏史の均衡を破るのが、かのグレン・グールド(Glenn Gould)である。彼のバッハは有名だが、スクリャービンを録音していることを知らない人も多いのではないか。「均衡を破る」と書いたが、録音自体は1970年でアシュケナージのスタジオ録音より前である。

冒頭のトリルを聴けば分かるが、リヒテルの演奏のような、大型バイクのエンジン音に似たスリルあるスピード感はなく、まるでゴロゴロゴロ…と鳴る雷のようにして始まる。A主題に、なんと11秒48かけている。これはリヒテルのおよそ2倍であり、ここだけ聴くと同じ曲には思えない。

47小節からのPresto con allegrezza(喜びとともに)の箇所も、一向にPresto(極めて速く)にならない。浮遊する和音は、バラバラと解体して崩れ落ちていくような遅さだ。すべての演奏にかかった13分3秒(783秒)は、リヒテルより2割ほど長い。

名前を隠されたら練習中の素人だろうか? と思ってしまうような、異色の演奏である。ただ、注意深く聴いていくと、この演奏がスクリャービンの和声の独自性というか、ただならぬ異常性を際立たせながら弾いていることが分かってくる。

われらが岡城千歳登場

ここで、さらに新しい演奏をするピアニストが登場する。われらが岡城千歳(Chitose Okashiro)である。全体の演奏時間は15分20秒で、リヒテルの1.5倍、5分も長い。グールドよりも2分以上も長いのである。

A主題にかける時間は、なんと15秒。史上最長クラスである。空中で停止してしまったかと思ってしまうほどだ。その後、道に迷って周囲を見渡しながら恐る恐る足を運んでいるかと思うと、Presto con allegrezzaに差し掛かると急にリズミカルに走り出す。

この演奏が収められたCDは、アメリカのProPianoレーベルで録音され、確か1992年に日本で発売された。それを買った私は、そのユニークさに耳を奪われ、繰り返し聴いた経験がある。

リヒテルの演奏と比較すれば明らかだが、岡城の演奏には濁ったタッチ(打鍵)がひとつもない。即興性や疾走感の名のもとに勢いで押し切ってしまう部分が皆無で、すべての音に強い意思とコントロールが感じられる。

正直言うと、岡城の演奏を聴いた後では、リヒテルはなんと雑に弾いているのだろう、という感想すら浮かんでくる(それでもある本質を掴んでいるに違いないが)。

おそらく岡城が強く意識しているのはスクリャービン独特の和声で、それを漏らさず奏でることを犠牲にしてこの曲を弾くことなど考えられないのだろう。

ここからは推測でしかないが(まあこの文章全部が勝手な憶測だらけなのだが)、おそらくこの演奏はグールドからインスピレーションを得たのだろうと思う。

グールドの演奏は、スクリャービン演奏の新しい地平を拓いたのは間違いない。しかし、彼の録音にはどこかエキセントリックな印象が湧いてしまうのに対し(「ちょっと流石にそこ遅すぎるのでは」など)、岡城の演奏はその違和感を修正し、楽譜研究の結果、これしかないという確信のもとに弾いている。

他の誰の演奏にも似ておらず、かつこの名曲の演奏史、録音史に大きな足跡(爪痕、と言ってもいいかもしれない)を残している。

いや、「この名曲」と書いたが、楽譜として残されたほとんどの曲が、最初から名曲だったわけではない。楽譜から高いポテンシャルを引き出す演奏家がいないことには、それは「名曲」にはならない。

その意味で、岡城千歳の演奏が、スクリャービンのピアノソナタ第5番に新たな生命を吹き込んでおり、名曲の新しい価値を付加しているといえるだろう。

ホロヴィッツの大暴走

最後にウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)の録音を紹介しておかなければならない。古い録音だが、リヒテルとはまた違うスタイルだ。A主題の弾き方は、グールドに影響を与えているのではないだろうか。

ホロヴィッツの動画は前半と後半に分かれているのだが、後半1分ほどのところで、勢い余って楽譜から「落ちて」しまうところがある。それなのに最後は、聴衆の爆発的な喝采をさらってしまう。

ここまで聴いてくると、やや雑な整理で申し訳ないが、スクリャービンのピアノソナタ第5番の演奏スタイルには、「ソフロニツキー→リヒテル→アシュケナージ」と、「ホロヴィッツ→グールド→岡城千歳」という2つの系譜があるように思える。

ということで、岡城千歳のこの演奏の入ったCDはおすすめです。スクリャービンのほか、ドビュッシー、武満徹、そしてピアニストの兄である岡城一三の曲も入っている。ドビュッシーは本当に堂々としていて、日本の若いピアニストの演奏とはとても思えなかった。

tower.jp

2019.06.01 追記

このエントリーをご覧になった岡城さんご本人から、グールドの録音はこれまで聴いたことがなかったとご指摘をいただいた。
“自分はこう弾きたいと思うものに関しては、あまり他人の演奏を聴かないことが多い”とのこと。驚きである。