Le compositeur du Marteau sans maître pousse la métaphore ménagère : "En fin de compte, devrions-nous à l'amabilité délicate d'un quelconque joli navet d'être cent fois signalés à l'attention bienveillante de la préfecture de police, nous ne lui ferons jamais subir l'outrage de servir aux plaisirs auriculaires des duchesses, etc. ; plein de déférence pour ce pâle légume, nous préserverons sa vertu."
J.S.Bach: St. Matthew Passion, BWV 244, Pt. 3 (1954 Recording) : O Haupt voll Blut und Wunden ※ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「マタイ受難曲」(1727)より「血しおしたたる」。ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー(1954年のライブ録音)。
Jatekok (Games), for piano~J.S. Bach: Das alte Jahr vergangen ist, BWV 614 - Hommage a Reinbert de Leeuw ※クルターグ・ジェルジュ生誕80周年ライブより、バッハ「汝にこそ、わが喜びあり」。ラインベルト・デ・レーウに捧ぐ(不詳)。なお、デ・レーウは作曲家でサティ弾きのピアニストとして知られる。
きのうは歌舞伎町の109シネマズプレミアム新宿で、映画「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」を見てきました。4500円で山盛りのポップコーンと飲み物つき。大きめのシートはふかふかしていて左右に食べ物と飲み物を置くスペースがあり、巨大なスクリーンと最晩年の坂本が監修したという音響で、ぜいたくな時間をすごせました。
そんな疑問や憤りは、長いことわだかまりとして残っていて、実はこの日もその思いを一部引きずっていなかったといってはウソになる気持ちを抱きながら「Playing the Piano 2022+」を聞いていました。しかし、ドビュッシーやラヴェルの影響をあからさまにした作品群の中で、「東風」のオリジナリティって異常に突出してるんですよ。もう飛び抜けて。
「Playing the Piano 2022+」の東風は、イントロを飛ばして“ヨナ抜き音階”のAメロで静かに始まり、Bメロを経てイントロに戻るんですが、このBメロ-イントロがすごかった。螺旋状に上昇するBメロについた和声は非常に複雑で、黒い雨雲がどんどん大きくなっていくような迫力があって、これをポップ・ミュージックに持ち込める人って坂本だけだよな、という興奮がありました。
ということで、この最晩年様式の「東風」の演奏には、まったく予想外に、ものすごく感動したので、このスタイルで同じように「THE END OF ASIA」などのYMOナンバーをやってもらいたいな――なんて思ったところで、彼の不在にあらためて直面することに。もう坂本はこの世にいないから、新しい音楽は作ってもらえないんですね。